シャツにアイロンをかけた話
明日着るシャツにアイロンをかけた。
皺を伸ばしながら、ついでにと仕事着の何着かにも手を伸ばして、そこでふと思った。
アイロンかけるのって久しぶりだな、と。
冬の間はセーターが多かったし、まだ肌寒い4月はパーカーやスウェットを着ていた。
中に着るシャツならアイロンかけなくてもいっかっていつも面倒くさがっていたから、きっとこれも春が来たということなのかもしれない。
でもそれだけなんだろうか。
久しぶりに行ったマッサージ店で「息を吸ってください~、はい、吐いてください~」と言われ、言われるままに呼吸をしたら、スタッフさんに「最近、寝られていますか?」と聞かれた。
なんでですか?と逆に聞いたら、お店のスタッフさん曰く「呼吸が浅いです」と。
そう言われて思い至った。
このところずっと眠りが浅くて、寝ていても頭のどこかがいつも起きてるみたいだったこと。寝付きが悪くて夜寝るのがどんどん遅くなっていたこと。
でも、それがいつしか当たり前になってたこと。
人に言われて気付いた。それは当たり前ではないこと。
先日、私の推しグループである関ジャニ∞の一人、大倉忠義さんが休養を発表した。
それを受けて、安田章大さんが「優れる時は皆で前進、優れない時は皆で様子見、を当たり前の行動と共通認識できたらな」とファンにメッセージをくれた。
「優れない時は様子見」
図らずも私の推し達は、その活動の中で病気やそれに伴う怪我や、多忙によるストレスで身体や心と向き合う時間を持ったことがある人たちだ。
その上で、「休めなかった」人たちだ。
堂本剛さんは、突発性難聴になった時、スペシャルドラマの撮影スケジュールが詰まっていて不調を訴えてもすぐには病院に行けなかった。結果、彼の聴力は戻らなかった。
安田章大さんが病気の後遺症から骨折をした時、当初は彼自身が不完全な姿を見せたくないと泣いて訴えた全国ツアーに、いろいろなケアや調整を踏まえた上で最終的には「出る」という決断になった。
だからこそ、今の大倉さんがどこまでの状態かはわからないけれど。
休養できる環境であることにホッとした。
場違いかもしれないけど、安心した。
休めること、様子見ができること、それはまだまだ当たり前ではないから。
「休養」のボーダーラインなんて人それぞれで。
身体の強さや丈夫さが人それぞれのように、心の強さや快復力の高さなんてさらに人それぞれなんだと思う。
誰かにとってはなんてことないことも、別の誰かにとっては大事だったり。
私はあなたじゃなく、あなたは私じゃない。
だから、あなたが調子が悪いなら、または第三者から見て調子が良くないなら、「休む」ことが当たり前になってほしい。
そんな環境に、今、推し達がいられること、不謹慎かもしれないけど安心したんだ。
そこでまた考える。
「休む」ってどういうことだろう。
なんとなく、この「休む」には睡眠をとるみたいな身体を回復させること以外に「離れる」「距離を置く」という意味が含まれているんじゃないか。
では、距離を置いた先に何があるのか?
それはきっと「時間」だと思う。
たとえば、アイロンをかける時間。
深呼吸をする時間。
日常の中でそんな気にもかけていない「ほんの一息」が持てること。
きっとそういう「ほんの一息」をとれる、そんな時間が誰にとっても必要で。
その「ほんの一息」をとるために、不器用な私たちは物理的に「休む=離れる」ことが必要なんじゃないか。
そんなことを思う。
私は単なるファンの一人なので、偉そうに何かをいう権利はない。
さらに恐いことに、もしかしたらこんな推測をここに連ねることが、彼や彼を大切に思う人、また彼のことをいちばんに想っているファンの方々を不快にさせるかもしれない。
それでもひっそりと願う。
どうか大倉さんにも「ほんの一息」がありますように。
翻って私も、もしもまた「まだ大丈夫」「これくらいならなんとかなる」なんてことを思ったとき、今度はほんの一時立ち止まってみたい。
今の私、アイロンをかける時間がある?
面倒くさがらずに「アイロンかけよう」って思えたなら明日も仕事してよし。
でも「アイロンかけなきゃいけない」とか「アイロンかけるの面倒だから、明日はシャツにしよう」って思ったら。
安田章大さんの言葉を思い出そう。それは私の心の栄養剤になる。
連休明け、まずは深呼吸から始めよう。
君のレモンとレモネード
※このブログの全文は個人の1,000兆%の妄想と曲解と偏見でできています。
※これは徒然なるままに、人生の隙間時間で硯も研がずに、心にうつりゆく安田章大さんのことを、そこはかとなく書きつくったらやっぱり狂ったような気持ちで出来上がった、波打ち際のガラスの破片のようなものです。
※オチや主題のある話ではありません。言いたいことも言えないこんな世の中というかそもそも言いたいことってなんだっけ?っていう感じなので読了後の後味に責任は持ちません。
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When Life gives you lemons,make lemonade.
~人生があなたに酸っぱいレモンを与えるなら、甘いレモネードを作りなさい
=苦難の中にあろうとも発想を変えて前向きに生きろ~
2020年9月24日、安田章大さんの写真集『LIFE IS』を受け取った。
その前後、『LIFE IS』が 発売されることで出演されたTV番組、ニュース、配信イベントを観た。ラジオを聴いた。
2021年1月25日から1週間、全国紙で特集された新聞記事「患者を生きる」を読んだ。
そして、3月20日NHK BS1『ザ・ヒューマン』で安田章大さんが特集された。なんとなく、これが『LIFE IS』のいったんの終着駅かと思った。そう思って、番組を観ていた。
私が安田さんを好きになったのはたぶん2009年頃。それから一度オタクを辞めて、出戻ったのが2018年7月。
彼らは大切な1人のメンバーの脱退という現実の中でがむしゃらに、無理矢理に、走り続けている大きな列車の上で歯を食いしばっていたように見えた。
私はずっと彼らを近い距離で追っていたわけではない。だからこれは単なる戯れ言だけど、脱退した渋谷さんは、関ジャニ∞の北極星のような人だと思っていた。
彼らの指針。行く先を決めるコンパスの先にいる人。
だから彼と袂を分かつというニュースに触れた時、私は勝手にコンパスを亡くしたような気持ちになって、部屋にあった関ジャニ∞さんの円盤とかグッズとか、そういったものを一度捨てた。自分の好きだったものの形がひとつ終わった気がしたから。
でもそれから3ヶ月後、安田さんの病気の告白というニュースが目に飛び込んできた。
彼は北極星(かどうか知らんけど)を失って、病気と怪我を負って、それでも「渋谷を失って不安定になっているファンのために、ライブに出る」ことを決めたのだと。
「人の倖せが自分の倖せ」
私のようなファンでも耳に残るほど、格言のように、呪文のように、言い聞かせるように。好きになった当時の安田さんは繰り返しこの言葉を使っていた。
彼から離れて数年後、触れたあのニュースの中に変わらない安田さんの生き方を感じた。
この人は、命の危機に瀕しても、芸能活動を脅かすような体験の最中でも、誰かのために生きようとしている。*1
たまらない気持ちになった。その衝動のままファンクラブの会費を振り込んでいた。
この人の人生を、これから選ぶ先を、傍で応援してみたい。
思えばそれが、安田さんを再び追い始めた理由だった。
6人になった関ジャニ∞さんはとても強かった。これまでのバランスを敏感に補い合うようにお互いへの神経を張り巡らしながら関ジャニ∞という巨大な列車は変わらずそこにあった。
7人には7人でしかない魅力があるように、6人には6人でしかない魅力が存分にあった。
それと同時に2019年はとても不安定だった。度重なる報道に心を抉られて、知り合いからの「関ジャニどうなるの?」「錦戸さん、辞めるの?」「大倉くんは大丈夫?」「安田くんはどうしたの?」という質問に辟易として、楽しそうにバラエティをする姿や安心できそうな言葉を拾い出しては大丈夫だと言い聞かせて。
「先のことはわからないから、今、関ジャニ∞さんに与えてくれるものだけを見よう」と心にはびこる不安には見てみない振りをしていた2019年。
その時、私の頭の片隅には、もしかしたら安田さんは芸能界を辞めるかもしれないという予想があった。*2
脳の腫瘍、12時間にも及ぶ手術。腰と背骨の骨折。サングラスという後遺症を抱えてスポットライトに煌々と照らされる表舞台に立ち続けることは、果たして安田さんにとって優しい世界なのだろうか?
そんなことを考えるたび、彼が、彼らが結論を出したら、それを受け止めるしかないと思うしかなかった。
その一方でそれが現実になった時、私はそれに耐えうるのだろうか?とも。
そして迎えた2019年9月。錦戸さんの「大切なお知らせ」が届いた時の、また失うという悲しみ。
久しぶりに泣いて、落ち込んで、苦しくて仕方なかった。
こんなことなら出戻らなきゃ良かったとも思った。
悲しみと同時にそれでも6人でがむしゃらに手を引っ張ってくれたことも忘れたくなかったし、5人でも続けると言ってくれた関ジャニ∞さんから目を逸らしたくないと思えたのは、間を置かずに発売されたシングルだった。
なぁ友よ、 人生って最高だろう?だからやめられないんだろう
(2019年11月27日発売・関ジャニ∞『友よ』INFINITY RECORDSより)
MVの映像は、表情のわからないシルエットの安田さんから始まっていた。俯いてその手を見つめた後、大きく息を吸い込んで、力強くここを歌いきる。
その声は、その歌は、5人の関ジャニ∞さんをまだまだ観ていたいという私の指針になった。
ファンが思うよりずっとシビアな現実の中、恐らく前向きでなかったこともあったと思われる安田さんの身体の事情も含めて、「倒れる時は前に」と5人で「もう一度」コンパスを設定して、5人でマストを張った。
私の予想は外れて、安田さんはまだアイドルを続けてくれるらしい。
その傍に、こんなに温かいメンバーがいてくれる。
一人になるよりずっといい。
もしかしたら引退して安田さんを苛む強い光を浴び続ける世界から離れた方が、彼の身体と命には優しいことかもしれないけれど。
安田さんが、いや安田さんだけじゃなくてきっと関ジャニ∞さん一人ひとりが、悩んで迷って傷ついたり傷つけたりしながら舵を切ったその先に、一緒に帆を立てて進んでくれる人たちがいる。
一人よりずっといい、と、残酷にもそんなことを思った。
そしてそんな(彼らほどではないにしろ)私にとっては怒濤の日々を過ごした後。安田さんから差し出されたのが、『LIFE IS』だった。
NHK『ザ・ヒューマン』は、この写真集の舞台とした北の冷たい大地で、白い馬の背中に耳を寄せる安田さんから始まった。
5人になって始めた2度目の47都道府県ツアーがコロナ禍での中止となったこと。
30代になったからこそ歌という技術でも届けたいと始めたボイトレの様子。
関西ジャニーズの初の配信イベントでの先輩としての明確な自覚。
安田さんの少年時代。
初めてもらったファンレターで「好きになってもらえたから、その人の期待を裏切りたくなかった」という気持ちになったこと。
大阪時代、強くなれる気がして原付で東京まで行った話。
2度目の椎間板ヘルニアの手術の話。
ライブツアー中に感じていたという違和感。髄膜腫の発覚。お母さんが記した手書きのメモ。*3
大倉さんからの「ただ生きてくれ」という真摯で切実な言葉と、それを思い出す安田くんの涙。
ナレーターさんの声に時折安田さんとディレクターさんの言葉が入り、丁寧に、丁寧に映像が流れていく。
知らない話や知っている話、ともに観てきた景色、観たことがない景色。
時々喉の奥がぐっと苦しくなる事実の羅列も、映像として、音として、動いている安田さんの姿から、声から伝えられるそれらは、文字や写真で触れるのとまた違って、私は幾分柔らかく受け取れていた。
そして『LIFE IS』の話。別冊には、術後の姿も、傷跡も、まざまざと曝け出されていること。そんな写真集を発売したこと。
私には、安田さんの写真集を撮影してくれた写真家の岡田敦さんと安田さんの出会いとなった雑誌の対談の中に強く印象に残っていた言葉がある。
岡田さんは、批判をくらった時、心が折れたりとかなかったですか?(安田章大)
『色気の哲学書 with関ジャニ∞ 』Vol.9「色気はいつか消えるものに感じる」(2019年5月8発売 『an・an』マガジンハウスより)
安田さんが岡田さんを知ったきっかけとなった作品『I am』を発表した際に岡田さんが受けたという誹謗中傷。二人の対談の中で、安田さんが投げかけたのが「批判を受けたとき」について問うたものだった。
岡田さんは、毎回傷つくことを認めながら「批判的な意見でもそれだけ反応されるエネルギーを相手に与えるような作品を作れたってことは、僕の中で誇りでもあるんです」と答えていた。
話は戻り、番組の中で安田さんは『LIFE IS』にいただいた反応のひとつとして、お父さんと弟さんを亡くした方のお話をしていた。TVのカメラではなく、岡田さんへ向けて。
その言葉の続きは、こうだった。
「出すことによって、岡田さんも言っていたけど全員が全員賛同するわけじゃないし、いろんなことを思う人たちがたくさんいるから。でもそれだけ反応があったってことなんやなって思って。しみるような感覚でしたね」
あぁ届いていた、と。感じた瞬間だった。
それは安田さんが届けたいと思っていただろう人へ、安田さんのメッセージが届いていたことが安田さんにも届いていたこと。
そしてあの対談で岡田さんにもらった言葉を、安田さん自身が実践してみた結果も、実感となって安田さんに届いていたこと。
「出すこと」の主語は、写真集なのか、病気の詳細なのか、安田章大さんという一人の人間のことか…
どれかなのか全部なのかわからないけど、少なくとも『LIFE IS』を出したことで反応があって、きっと今になっている。
これが安田さんがやりたいことに一歩を踏み出して、歩みを止めなかった結果なんだ。
『LIFE IS』でそれを知った安田さんは、番組の最後にもうひとつ曝け出してくれた。「偽善者」について。
「人の倖せは自分の倖せ」に対する何気ない、でも10年くらい前の安田さんの心のたぶんいちばん柔らかい場所に爪を立てた言葉。
最初に歌を届けた時には語られなかった言葉。最後のビデオメッセージで、インタビューで、曝け出した、安田さんの心のしこり。
思うことはいろいろあるけれど…
「なにが恐かったんだろう?」
安田さんが振り返った。声には悲観や傍観のような響きはなくて、ただそうだったことを振り返るような、そんな音に聞こえた。
さて、ここまで本当にとりとめなくダラダラと綴ってきて実感することは、安田くんの人生には思いも寄らない酸っぱいレモンがたくさんあったんだな、と。
視聴後しばらくまとまらない思考を無理矢理言葉にしようとしていた時、ふと冒頭に綴った英語の諺が思い浮かんだ。
When Life gives you lemons,make lemonade.
~人生があなたに酸っぱいレモンを与えるなら、甘いレモネードを作りなさい
=苦難の中にあろうとも発想を変えて前向きに生きろ~
人生は時に、酸っぱいレモン(良くないもの)を差し出す時があって。でもそんな時も考え方次第で、それは甘いレモネードに変えてしまうことができる。
安田さんに起こったたくさんのことは平凡に生きている私には想像もつかないことだけど、でも目線を変えればそれは特別なことではないのかなとも思う。
きっと誰の人生にも多かれ少なかれ、レモンは唐突に、理不尽に、平等に、投げつけられることがあるのかな。
それに習えば、安田さんの『LIFE IS』はもしかしたらレモネードのひとつかもしれない。
これまで安田さんが飲み込んだ、酸っぱかったり苦かったりしたレモン。
安田さんが安田さんに差し出されたその酸っぱいレモンは、これまでだったらアイドルという環境の裏側にそっとしまい込んで、甘いレモネードだけを差し出してくれていたかもしれない。
私はそのレモネードだけ飲んで、美味しい美味しいとただ幸せな気分を味わえていた。
きっとそれも間違いじゃ無い。
でも『LIFE IS』はレモネードみたいに甘くない。
甘くて美味しいとただ飲み干すには、苦くて酸っぱいレモンの形が強い気がする。
私には、そう思える。
なぜか。
それはもしかしたら、安田さんがレモンそのものも隠していないからなのかもしれない。
レモンを見せて、苦みと酸っぱさを目の前にして、甘いレモネードを差し出してくる。
安田さんは曝け出すことで、それを万人へ喉越しを良くせずに、どこかにいる誰かの真髄まで食い込ませていきたいと思ったのだろうか。*4
それはけしてこれまでのレモネードを否定しているわけでなく、そうでないと届かないものを届けたいと思ったのだろう(かもしれない)から。
でも安田さんは、レモネードにすることの良さも知っている。
ついでに言えば、それをレモンパイにしてみたり、唐揚げに添えて絞っても絞らなくてもいいようにしてくれたり、時にレモンのままだったり、甘いレモネード以外にも受け取る人によっていろんな形を選択できるように、いろんな形に変えて目の前に並べていてくれる。
レモネードでも、レモンパイでも、添え物でも、レモンでも。
どれも否定していない。
そういうことを伝えようとしてくれているようにも感じる。
それを目にとめたタイミングでは気づかなかったり、そもそもレモネードが苦手だったり、そんな声も届いたりしている。もしくはそういった声を受け取ってほしくないという声も届いている。
自分が傷つくことと、自分を大切にしている人が傷つくかもしれないこと。
それに迷いながら、葛藤しながら。
そんな反応全て、差し出してみなければ得られないことだと、安田さんはもう知っているのだろうな。
だから今、私の前には、『LIFE IS』がある。
エンターテイメントって生きる活力を届けられるのが一番でかい。
俯いている顔を少しでも上に、せめて真っ直ぐにでも向かせてあげられたらな。 (安田章大)
SURVIVEー生き残る、生き延びる、助かる
REGRETー後悔、悔恨、悲嘆
HOPEー希望
『ザ・ヒューマン』の番組の冒頭、これから映し出される安田さんの静止画とともに3つの言葉が踊っていた。
学生時代、「HOPE」と「WISH」の違いについて英語の先生が話していた。
「HOPE」は実現できる可能性がある願望、「WISH」は可能性の低い願望。
安田さんはふいに差し出されたレモンにきっとたくさん悩んで戸惑って開き直ったり苦しんだりしながら生き延びた先で、立ち尽くして。
自分と向き合った先で過去の後悔を思い出して、そして選んだのは、たぶん生きる誰かに希望を差し出すこと。
安田さんは安田章大を表現する一つとして、この舞台を選んでいる。
これは確かにHOPEである。
HOPEであってほしい。今の安田さんの努力が、命が、想いが、『LIFE IS』が時間を超えてもまた誰かに伝わりますように。
そんな安田さんの消えない息吹が、この先も不特定多数の多くではなくて、どこかにいる誰かの人生のレモネードになりますように。
そんなことを思ってまとまらないまま、私の『LIFE IS』もいったん完とします。何を完としたのか自分でもわからないけど、私は今日も安田章大さんが生きていることを地球に感謝したいと思いましたまる
感情が愛情でCRAZYでどうしたらいいのか書き殴ってみた
※1月2日、3日にも配信される「KinKi Kids O正月コンサート」の内容にガッッッツリ触れています。全内容ネタバレしかありません。これから視聴される予定のある方はご注意ください。
※あと諸事情により理性はお嫁に出しました。幸せそうに嫁いで一生戻ってこなさそうなので、テンションとパッションだけでお送りしています。ご注意ください。
耐えきれなくて一般で追加チケット買って1/3にも視聴したので、追記します。(1/3追記)はこの色です。理性と語彙力は相変わらず戻ってきません。あしからず。
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2021年1月1日。
本年もめでたくKinKiKidsさんの冬コンが配信される運びとなりました。
思えば剛さんの突発性難聴で諦めた年を除いて、デビューからずっと続いていた冬のライブ。
春~秋はソロ活動が盛りだくさん(それはそれで嬉しくて楽しい)なので、KinKiさん二人揃って歌うのが観れるのは12月~1月1日までの期間限定。
つまり「KinKiは冬の季語」だと認識している私なので、KinKiコン配信のお知らせに「今年も冬がきたな…というかこんな時代でも配信ライブでO正月をKinKiさんと過ごせるのがとても嬉しいなぁ」という思いで迷わずチケットをポチっ。
というか、こんな時代じゃなければ光一さんのお誕生日兼ツアーのオーラスをこんな気軽に観られることもなかったなぁとしみじみとKinKiさんに感謝を捧げ、
4年ぶりのオリジナルアルバムを聴き倒しながら配信の日を待っていた。
あと事前にCDTVでクリスマスツリーでシンデレラ・クリスマス歌う木ン木木ッズと、
X'mas Gift Selection(クリスマスの配信ライブ)で雪だるまで愛のかたまり(フルコーラス)を歌う雪のかたまりKidsを体験していたので、
O正月の配信ライブの予告に映る鏡餅らしき黄色と白色のKinKiさんについては一体何の曲を破壊するのだろうか?と、緊張と不安と腹筋が崩壊する準備を密かにしながら迎えた当日。
2021年1月1日午後8時30分。
ここからは私の書き殴ったメモをそのまま載せていきます。なお、最初に言いましたが理性はとっくに失っております。文章がめちゃくちゃです。ご注意ください。
1.Cool Beauty
ハイ、1曲目からトップギア!!!!!テンション振り切ったよ、大好きCool Beauty!!!!!
イントロ流れた瞬間、嬉しすぎて頭と心が弾け飛んだ!!!
って、え???剛さん、、、が、踊って、いる…????!!!!(弾け飛んだ頭と心が戻ってきました)
ここまで…挑戦してくれたの????
だって、突発性難聴になった当初は二つのことを一緒にできなくて、歌う時は棒立ちで、踊る時は歌えなくて、ギターも持てなくて…(涙)
あの堂本剛が棒立ちのまま音をとるのに必死だった姿は、あまりにも痛々しくてオケコンを観られないくらいトラウマだった。
それが少しずつギターを持って歌えるようになって、リズムを取りながら歌えるようになって…
でもまだ振りをこなしながら歌う姿を見たことがなくて…
KANZAIBOYAで音に合わせて、光一さんの振りに少しだけ合わせる動きができてたことに感動したのも今年の出来事だよ?
あと難聴は治ったわけじゃないから、相変わらず音は失ったままだし、ドームみたいな広い会場だと音圧が剛さんの耳に良くないって。
だから遠くまで移動できないから、去年のライブだって花道もトロッコも光剛山もなかったのに…?
確かに、ライブでも音楽番組でもトレードマークみたいになっていたヘッドホンは、配信になって観客を入れなくて良くなった分、音圧を上げる必要がなくなってイヤモニに挑戦できるようになったって言ってたけど…
それでも音響障害はあるから、ヘッドホンで音を遮断した方が絶対いいのに。
でもヘッドホンだと大きすぎて踊れないって。踊るとヘッドホンがずれてしまうからって言ってたのに…。
2020年12月31日のLove Fighterで語ってくれた剛さんの「挑戦」。
ヘッドホンではなく、イヤモニで表舞台に立つことが、今も闘っている限界の先にいる医療従事者の方へ向けた励ましになるかもと考えて始めたイヤモニへの挑戦。
ラジオで多くの医療従事者の方からのお声をいただいたいから、そういう自分を応援してくれている方へ、自分も闘うことで誰かへの励ましになれたら良いと仰っていた。
けして押しつけがましくなく、自分が勝手にやっていることだと…。
そんな思いをいっさい出さずに、イヤモニでCool Beautyのサビを踊る剛さんを観ながらもう思いが溢れて溢れて弾け飛んで。
そして光一さんのダンス。剛さんの挑戦を知っているのか知らないのか分からないけど、でも寄り添うようなダンス。これがKinKi Kids…
ねぇ、光一さんの隣に、踊る剛さんが帰ってきたよ…?
1曲目から涙腺崩壊でクライマックスを迎えました。
心底カッコイイ…カッコイイよ…KinKiKidsと途中から嗚咽が止まらなかったけど、目はギンギンに開いて踊るCool Beautyを焼き付けていました。
(1/3追記)登場から背中合わせってシンメの申し子…!ステージ自体もLEDだけど、宇宙みたいで凄かった。KinKiさんは基本装備にレーザー備えてる。
2.Natural Thang
1曲目から語りすぎたけど、まさかの2曲目Natural Thang!
ここから剛さんギター、光一さんダンスのThanKs 2 YOUコンスタイル!
ギターかっこよか・・・・なにこれアレンジ神・・・曲も神・・・・
令和にもう一度Natural Thang聴けるとは・・・・(噛みしめる絵文字)
ありがとう、ありがとうね、りんたろーさん…!!!KinKiさんにNatural Thangを思い出させてくれて・・・・!とどこにも届かない感謝を捧げて、「ねぇ、いいだろう…?」で無事の私の心が昇天を迎えました。
(1/3追記)I never gonna let you go~の「アーイ」でバーンって全体映るカメラワーク、天才だった。 KinKiさん陣営、天才しかおらんのか!あとダンスの振りにところどころ合わせて手で踊るTSUYOSHI DOMOTO、ほんとしれっと天才…!
あといつものことだけど、ライティングが神すぎて、さすが堂本光一さん、ライティングオタクなだけある・・・・!!!ライティングだけで金のとれる男・・・・!!!!と打ち震えてました。
3.Bonnie Butterfly
なんだよ、これ!夢かよ!早くもセトリが神だと確信したよ!!!!
誰だよこれ考えたの!?!?あ、剛さんか???最高ですね???!!!!
今日も光一さんのダンスがキレキレでありがとう!私は剛さんのエフェクターになりたい!!!!
(1/3追記)剛さんのマイクスタンド、あまりの美声に魂宿ったのか、常時リズムにノッてブルブル 揺れてたんだけど、揺れてるマイクスタンドでも動揺しないし声もぶれないTSUYOSHI DOMOTO、天才かなと思いました。(2回目)あと光一さんのダンスってすごく優雅。キレと力強さのイメージがあったんだけど、それを備えたまますごく優雅でうっとりした。きっと光一さんはButterfly…!!!!(真顔)
4.Misty
待ってMistyまで聴けるの????!!!私、今日命日なんじゃない???
大丈夫、まだ4曲目だよ????死ねない!生きる!好き!アレンジ神!
曲が美しいな!!!!堂島孝平さん、KinKiさんに出会ってくださって本当にありがとうございます!!!!!Misty、らぶ・・・・
(1/3追記)ギターソロ(即死)
5.やめないで、PURE
これは…!もしかしてたぶん、KinKiさんから筒美京平さんへの追悼かもしれない。
これイントロのテレレ~と途中のダンズダンズダンがカッコイイんだよね(語彙力)
KinKiさんの哀愁漂う雰囲気を壊さないまま、とてつもないカッコイイ曲をありがとうございました。
やめPUREはいつの時代もカッコイイ…(放心)
(1/3追記)ギターソロ(即死)
6.愛されるより愛したい
ジャズアレンジ…??かな?リズムの取り方が独特…!
というかどれもこれもライブアレンジが毎回違うんだよ。
原曲の良さを活かしたままセトリの流れに沿うようなアレンジや、時に切り込むような大胆さや…もう相変わらず音が豪華すぎる…
吉田健さんと堂島孝平さんを中心とした堂本ファミリーバンドの皆さま、本当にいつもありがとうございます…(そういえばBass.に渉さんが見えて健さんと渉さんが…!とドキドキしていました)
ところで私はいつになったら「扉の向こうに光る空はあるの?」で心臓がとまらなくなるのでしょうか?誰か教えて。
(1/3追記)変則的なリズム?をジャズっぽいって書いたけどタンゴなのかな?音楽教詳しい人に解説してほしい…。この浮遊感はなんだろうなぁ?誰か教えて。あと後ろのモニターと一緒にLEDステージにもビルの夜景みたいな映像が動きながら流れてて、2人とも空を飛んでるみたいな不思議な浮遊感があって…音と演出のふたつの浮遊感でずっとふわふわしてた。 わたし、もしかして天使を見てたのかな???(真顔)
MC?
漫談タイムです。配信で事前収録だからね、O正月じゃないとか言っちゃうよ。
KinKiさんは夢とか見せてくれないよ。現実をつきつけるタイプだよ。
だからまだ12月とか普通に言っちゃうよ(好きです)
か~ら~の~~~~~~
「もう~」「もう~」「もう~いくつ寝ると~誕生日~」という堂本光一さん限定のハッピーバースディソングが流れました。
入りを間違う剛さんが何度か「もう~」「もう~」ってなって「あれ?入りどこ?」ってなっているの可愛すぎましたねもう(丑年だけに?)(黙りなさい)
広い会場のその向こうにあるバースディケーキを探しに行かされる光一さん。
最終関門のスタッフさんにじゃんけんであっさり勝つ光一さん。
剛さん曰く「ケーキって安心するとどっか行っちゃう」らしいので、今年はケーキを自ら探しに行くスタイルでした????
今年も無事に(もうすぐ)お誕生日おめでとうができて感無量です。
ちなみにバースディケーキはKANZAIBOYAとジャニーさんがいて、赤と青が半分で、このケーキ作った人は間違いなく図書委員だと思っています(おめでとうございます)
(1/3追記) 広い会場を目一杯利用してソーシャルディズタンスをしっかりとった「ふーっ(蝋燭消す」の演出でしたね???発想が相変わらず斜め上で天才かと!??? あと光一さんのいつものやつ「後ろの方見えてません。前の方見てません」のネタ、配信になったらどうなるのかなぁて思ってたら「今日、本当に見えませんからね」でした。This is KOICHI DOMOTO!そしてそれに「心の目で見てね」(見えないのは否定しない)のがThis is TSUYOSHI DOMOTO!二人はKinKi Kids!!!!
光一さん「『彗星の如く』をなんで「彗星」じゃなくて「如く」付けたの?」(無邪気)
堂島さん「いや最初、光一くんが「歌詞に『彗星の如く』って書いてあるのに、なんでタイトル『彗星』なの?」って言うから、「如く」付けたんだけど????剛くん、これどうすればいい??」
剛さん「麻酔銃ですね」
光一さん「あ、良かった、麻酔銃で…」
私(良かったの??)
堂島さん「彗星の如くって付けたら付けたでMVで「なんで如くなの?彗星じゃないの?」だよ?」
『彗星の如く』は剛さんが突発性難聴になって、剛さんの耳への負担を減らすために音数少なくてもカッコイイ曲を!と堂島さんが作ってくれてたやつだからね?
でも選曲したの前すぎて光一さんきっと忘れてるな、コレ…
堂島さん、KinKiの共同プロデューサーになってくれて、いつもKinKiに付き合ってくれて本当にありがとうございますの気持ち。
心の底からお年賀を差し上げたい。
7.彗星の如く
音も歌も言わずもがなだけど、演出が!!!最高ですね!!!!
今回は菱形みたいなステージが3つくらい連なっていて、その菱形の角から画面奥に向かって放射線が伸びているんですが(語彙力ないから想像力に一任します)、
その両端に移動するKinKiさんと各々を二分割する画面構成。
MVを彷彿させるようなカメラワーク。そしてカメラ目線の天才堂本剛さんとカメラ目線が苦手な堂本光一さん、二人はKinKiKids(大好き大好き)
あ~~~~~~~カッコイイ~~~カッコイイ~~~~カッコイイ~~~
2番CメロからのBメロへ展開する「うっ!」で無事に致死量を超えました。
(1/3追記)右と左とでカメラが分かれるから目が足りないよね???だからわたしの右目と左目頑張って!!!!!!左目は剛さん、右目は光一さんを余すことなく追って!!!!最初、左右の端で離ればなれで、2番サビ「生まれ変わったらまた巡り合おう この惑星じゃなくたって君と出会うだろう」で真ん中のステージ戻ってくるのか!って気付いたときはあまりの最高さに息がとまった。間違いなく生まれ変わってもこの惑星じゃなくてもftrは出会うので、来世のFC会費の振込先を教えておいてほしいと切実に思いました。
8.100年後の空にはなにが見えるんだろう
Oアルバム通常版のみ収録曲!
このどっちがハモリでどっちがメインでどれがユニゾンかわからなくなるような歌声。これこそKinKiという声帯!二人が歌えばそれがKinKiと言わしめる理由がよくわかりました。
歌声のHPが強すぎてだな。耳が溶ける。
(1/3追記)Aメロで剛さんのステージが先に上がった後に「1秒先の未来になにが起こるんだろう 突然君がいなくなったら壊れてしまいそうだ」で横の光一さんのステージがゆっくり上がって隣に並んだの、しんどくなかったですか???しんどいですよね???私の心には運命のシンメと書いてKinKiと彫っています。
???????ついに結婚式でも始まる?????!!!!
ここは教会か????ミサか?????と思ったら、
9.STARS
コーラスの厚みがすごい…!すごいしか言えない語彙力が悲しい…!
これPCで観てたんだけど、音質が凄すぎて。
PCの下からピアノの音が聴こえてきた時はビビり散らかしました。
ねぇ、配信で収録なのをいいことにこれ音質編集も拘ったでしょ、KinKiKidsさん…
お金が足りてないと思うの、ねぇ…どういうことなの?いくらなんでも上質すぎませんか?お願いもっとお金を払わせて…
(1/3追記)二人のお顔もだけど、バンドのみなさんのお顔を見てたら号泣してた。音楽を奏でられるのって当たり前じゃなかったんだろうな…
10.KANZAIBOYA
カメラ目線の天才堂本剛さんとカメラ目線苦手な堂本光一さん再び!
世界で一番愛しい補完関係ですね…
そして剛さんが4月より踊れていることにまた涙をするKANZAIBOYA
あ、配信でもジャニーさんは早替えではなく、その場で着替えるスタイルなのね?
シュールの極みでもはや芸術。
11.薔薇と太陽
待って待って待って待って!!!??そのまま??????そのまま薔薇太を???
鏡餅の準備はしてたけど、ジャニーさんで薔薇と太陽は準備不足だったよ???ごめんなさい!!!!!
いや、ジャニさん踊り上手いな!!!?????キレッキレだな?????
よく見ると(見なくても)お顔もいいな????????腹筋がwww死ぬwww
吉井さんに謝って、というかどうか吉井さんのお耳に届きませんように…!!!
まさかジャニさんのシャルドネ選手権が観られるとは思いませんでした。
でも剛さんの首筋からのジャニさんのシャルドネで光一さんの選手権って、今回ポイント高すぎでしたね。令和ってすごい。あれ?私、日本語喋れてる??
(1/3追記)いや着替えられるよね???よく考えなくても着替えられるよね????3日に分けて収録したならなおさら着替えられるよね???あなた後ほど「衣装チェンジもすぐ出来るのが配信の良いところ」って言ってたよ?????そーーーーいうとこーーーー!!好き・・・・
(ここまででふと思うのは、本当こんな上質な音楽とダンスと照明とカメラワークを携えて、二人ときたら真顔でこの演出ですよ…?
間近で演奏するバンドの皆さんやダンサーさんや照明さんの腹筋すごいよねということ。
私だったらどこかで吹き出してなにかがぶれる。プロってすごい。)
12.Missing
余韻とは。
緩急で風邪引くわ。
いや、まさか令和にMissing聴けるとは思わなくて、秒というかコンマ01くらいで泣き出したけど。
ステージの雪?の模様?が綺麗(だったのはここかな?)
なんて表したらいいのか本当に言葉に迷うんだけど、配信の強みを活かしながら、MVみたいな作品にもなりすぎずに生の音を感じさせ、でも生にはない配信ならではの雰囲気にさせるこの力はなんなんだろう?
ライブ観てるようで、MV観てるようで、でも今この瞬間しかない至高の音楽。
バンドのみなさんもダンサーさんも、けしてバックではない、一体感。
シンプルに鳥肌。すごいな。
(1/3追記)わかってたけど、 私の情緒がMissing。あとステージの映像は雪じゃなかった。花だった。二人の花・・・きれい・・・うっとりしてたら、I miss you babyの指さしを確認しました(即死)
13.光の気配
泣けと言わんばかりのセトリ。「あの鳥のように」で空を指さす剛さんの感性よ…
「飛んでいけ」はもう1人だった。ユニゾンなのに1人の人格に聴こえるってそんなことある??あったよ、神さま…すごいよ、この2人…
(1/3追記)二人の背中越しに見える満天の星空のペンライトはここでした。きれい…あと最初の「こぉの~」の入りとピアノの音が呼吸してるみたいで聞き惚れた。
14.道は手ずから夢の花
この曲もまさか聴けるとは!!!!ずるいよ!この流れは泣くでしょ!
涙腺崩壊セトリじゃん…3曲前までジャニさんと薔薇太していたとは思えないな?
「レールを繋げていく」の剛さんの歌声を聞いて、一生この歌声に恋してると確信した(n回目)
間奏の「ウ~ウ~」「ア~ア~」でこんなに綺麗に音を紡ぐことある?
剛さんも光一さんも似ている音域あるって言うけど、個性の違う2人の声が一体となって1人でもなく2人でもなくKinKiとして紡ぐ歌声に鳥肌。
なんて至福な音楽の時間…生きててよかった。あーあーあーあー、好きだ!
最後の2人の後ろ姿の向こうにペンライトが綺麗に瞬いている。
でもペンライトにも見えるし、星空にも見える。凝ってるなぁ!※ここは光の気配の終わりでした。
(1/3追記)安藤裕子さんの曲、本当に噛みしめれば噛みしめるほど胸に切なくて天才でした。すぐに天才って言っちゃう語彙力小二だけど、天才なんだもん…仕方ないじゃない…
15.スワンソング
ここで!!!!オーケストラの登場です!!!!!急にフィルハーモニーかN響になりました。
田中さん!!!!!!!!(指揮者の方)X’masの時はありがとうございました!!!
アレンジが重い…!さすがフルオケ!重厚!
別れのどうしようもなさと悲しさを音楽と演出で感じる。もうこれVRだよ。
私は今、桟橋の端に立って君の髪は雪崩れて死んでいく鳥が綺麗な声で歌うように波が泣いてるのを体感している。
モニターどころかステージすらLEDだから空間が異次元なんだよなぁ…もう。
(1/3追記)Timeで世界終わったって思ったけど、スワンソングでも世界終わってた。私の息の根も止まってた。
フルートやハープの綺麗な音がより美しさと切なさを増すスワンソングフルオケアレンジ。お願いだ、売ってくれ!!!!あと最初、オケの音に合わせてLEDステージの波の波紋が広がっていくのが凄くて、だな。大袈裟に言えばこの1曲だけで5,000円だと言われても頷けるくらいの迫力だった。
16.Time
ここでTime!!!!!!フルオケで!!!?????
セトリが読めなさすぎて頭がワイワイパニック。ワイワイパニックってこういう時に使うんですね???
原曲は電子音強めで、今回のライブはフルオケアレンジ…強い!
昔、この曲が発売されたときどっかの雑誌で「こういう曲を歌うには2人の声がメロディアスすぎて似合わない」って言われてたTime(しつこく覚えている女)
ここでフルオケでアレンジすることで重厚さと壮大さが増して、ドラマテックに仕上げてくるTime…!
壮大すぎて世界が無事滅んだ。
(1/3追記)オケになってから気付いたけど、照明の引き算がすごい。オケが荘厳だから照明もステージもシンプルに変わってるの。音楽への敬意を感じる照明ワーク。KinKiって、歌を聴き、音に溺れ、ダンスに目を奪われ、照明と演出に息を呑む。音楽だけでもダンスだけでも衣装や照明や演出だけでもなく、このステージすべてでコンサートなんだ。あともしかしてTimeって壮大なヤンデレ?(台無しか)
17.Glorious Days~ただ道を探してる
創世した。
スワンソングで恋人の世界が終わりを告げ、Timeで世界がいったん終焉したけど、Glorious Daysで創世した。
これはもう創生期。焼け焦げた大地に光が差し込んできた。水の音もする。
「どれだけ苦しむ選択(こたえ)だとしても夢を追うために生まれてきたんだ 誰だって」
(1/3追記)ハーモニーってこういうことか・・・!と生まれたての赤ん坊みたいな感想を改めて抱いたところで、わたし、2回観て気付いたんですが、創世の原因はハープではないかと。水の音みたいで本当に綺麗だったな…夢みたいだったな…音って目に見えるんだな… オケとバンドと歌のトメハネみたいなメリハリが素晴らしかった。
18.Family~ひとつになること~
ここで!Family!!!!!渾身の一撃ですね!!!!!
さっきの創生期からさらに光が増して、優しい風が吹き出しましたよ
もうこれ最終回じゃん。宇宙空間の中で涙が浮いているみたいなエンディングだよ。
クレジット流れてもおかしくない。
歌を聴かせ、ステージで魅せ、音を奏でる。KinKiさんのライブは、音楽であり、一本の映画だ。
(1/3追記)オケ全編通して剛さんの声がオケの時だと主張しすぎないようにしてるように感じて。なんか声も楽器のひとつというか、周りの音との調和というか。気のせいかもしれないけど。でも光一さんの力強さは安心感で。この押し引きのバランス、意識的なのか無意識なのかわからないけど、KinKi Kidsさん本当に素晴らしいなぁと。
MC②
光一さん「早替えができるって配信ならではですね」
(まさかこれが壮大な振りとはな…!)
少年隊リスペクトでガチオタの光一さんの選曲でしょ、これ!
ここで少年隊さんの曲を2曲!
剛さんに「この選曲どう?バンドリハでノリノリでご機嫌だったって聞いたけど」とウキウキで聞く光一さん(可愛いな)(ご機嫌な剛さんも可愛いな)
剛さんもすごくファンキーで、今回は(たぶんオリジナルに沿って)こういうアレンジだけど、またいろんなアレンジしてみたいって。
そして2人が共通して言う「少年隊が歌うから良い」「きっと僕らじゃ物足りない」「尊敬と感謝を込めて」「歌い継いでいきたい」
ここで事務所を去るお二人や、SMAPさんのお名前も出す二人。
KinKiさんのこういうところに胸がいっぱいだよ。
19.What's your name?
20.FUNKY FLUSHIN'
2曲とも存じ上げませんでしたが、めちゃくちゃカッコ良かったです!
こんなカッコイイ曲があったとは…!!!!ジャニーさんの最高傑作、よくわかります!
あと光一さん、さすが少年隊さんのガチオタ。選曲がライトなオタクとは違う…!(たぶん)椎名林檎姉さんと一緒にいつか関ジャムで解説してほしい…!
バンドメンバーさん達がすごく楽しそうなのも印象的。
こういう曲もいつかカウコンで聴いてみたいなぁ…
「歌い継いでいく」素敵な言葉だな
(1/3追記)マ!ン!ト!マ!ン!ト!剛さんの片マント!!!!チェ!ッ!ク!チェ!ッ!ク!光一さんの片チェック!!!誰ですか、二人にこの衣装着せたの!?出てきてください、お年玉があります!!!!!!剛さんの首元がレースで、光一さんは黒のレザーなのと、二人のお袖のリボンが、剛さんが太めのサテン系で、光一さんが細い紐なの、解釈が天才すぎてお年玉倍増です。光一さんがとにかく楽しそうで、最後ピョンピョン飛んで、後ろのモニターに映った少年隊さん3人のお写真に手を振ってたの、可愛すぎて可愛すぎて可愛すぎたな…あとFUNKY FLUSHIN'が山下達郎さんと知って達郎さんの音楽の凄さにも改めて震えてます。そのあとにKissミス→硝子の少年ってさ…山下達郎さんメドレーじゃん…ってこのセトリの深さにも震えてます。なにもかも圧巻…
イントロのアレンジカッコ良すぎませんか!!!!!
私は何回「!」を使えばいいんですか!!!!!!!
衣装もセットも同じなのに、このイントロアレンジだけで一瞬で世界が変わるのがすごいな。(ふっふ~!)
(1/3追記)「君が欲しい」「君が欲しい」と何度もカメラ目線で剛さんに言われたので、今から会いにいきたいと思います。光一さんとは一度も目が合いませんでしたが、今から会いにいきたいと思います。そして二人を見守る海になりたい。
22.硝子の少年
あ、そろそろエンディングですか?ん?でも鏡餅がまだなんですけど???
この曲だけじゃないけど、特に感じるのは「真ん中にKinKiがいる」という存在感。
その上で豪華なバンドも華麗なダンサーも壮大な照明も、バックにはならずにこの世界と一体となっているのがKinKiさんの凄みかもしれない。
23.新しい時代
これはもう歌詩がすべてで歌声がすべて。
この詩を奏でる音がすべてを物語ってくれる曲。
悲しみの中の決意やそっと目線を上げるような、すべてを包んでくれる優しい音。
田中さんの踊るような指揮が印象的。ステージの中心で丸い光の中に立つKinKiさん。
KinKiさんを中心とした世界の輪。Oとは輪。循環。
そして、Over。終わりではなく、超える。この時代を超える。
KinKiさんの最後のお言葉(ニュアンス。違ってるかも)
「この時代でしか作り出せなかったものがある」
「生で感じられる体温も大切に」
「新しいものを作り上げる」
二人とも、この時代を否定しない。
この時代の苦しさを否定せず、この時代で生まれたものを見つめてる。
これはそんな二人だからできたステージなんだろうな。
(1/3追記)ここのお言葉、正確には「この時代だから新しい形で繋がれた人もいる」「ソーシャルディスタンスだから温もりが恋しくなる」「新しい時代に向けて新しいものを作り上げていく」 でした(これもニュアンスですが)。でもやっぱり、二人とも今を否定せず、「新しいものを作り上げる」なんだよね。あぁ、この人たちが好きだなぁ。新しい時代、最初はLEDステージの映像は剛さんと光一さんそれぞれの足下からそれぞれの円が作られてて、それがほんの少しだけ重なってるの。それが大サビで大きな一つの円になって二人を包んでいる。そこに込められたメッセージを勝手に受け取らせてもらって力に変えていこうって思った。
1曲終わるごとに気が付いたら拍手していた。
最後の新しい時代を噛みしめて、エンドロールに流れる出演者スタッフの方のお名前をぼんやり眺めていた。
本当、一本の映画を観たかのような充実感。爽快感。重厚感。
なんと言ったらいいんだろう?
と言葉にならないまま、(ところで鏡餅はどこ…?)と冷静な私が思い出したところで
きたな!鏡餅!!!!!!
Encore
思った!以上に!画面が!酷い!!!!!!!!(褒めてる)
光一さんはみかんというか、下は筋肉だし、剛さんはくるくる回るし!!!??
余韻とは?????
返して!新しい時代の時のあの涙を返して!!!!!
と言うか、剛餅の腕の奥に見える紅白のリボンはなに?見えないところのオシャレも???さすがファッションリーダー!!!!????
光一さんはwwww鍛えないでwwwwなんでwwww筋肉wwwwなんでwwww袴wwww太もも黄色いけど、どうなってるの?wwww
剛さん、剛さん????いや回らないで!!!??くるくるしないで????可愛いから????!!!!
このお餅、リズム感がいいな?????
いや隣のみかん、ついに筋トレ始めた?????
歌は最後まで絶品なのがまた混乱する。耳と目の情報が一致しなくて、いや一致しかしてないんだけど混乱する!!!!
そりゃ毎日夢しか生まれないよね????!!!!
もうwwwwwやめてwwwww情緒が迷子ーーーーーーー!!!!www
(1/3追記)わたし、これまで生きてきて餅に上目遣いでウィンクされたの初めてでした。あと餅と橙(鏡餅の上だからみかんじゃなくてアレは橙でしたね)に指さしのファンサ(橙は真正面じゃなかったけど)もらったのも初めてでした。有り難すぎて2021年、何かいいことある予感で胸がさわいでます。
2021年、あけましておめでとうございました!!!!!!
そしてオケのみなさま、バンドのみなさま、ダンサーさん、・・・・本当にお疲れ様でした!!!!!!!
KinKi Kids Forever、マジで・・・・!!!!(息切れ)
粉雪が溶けた後、見上げた先が青空だったらいいなと思った~LIFE ISに触れて④~
!注意!
※このブログはあの日の天気は晴れていたかしら?くらいの曖昧な記憶でお送りしています。妄想過多、個人の感想です。ご注意ください。
※①~③まで長々と書いてきて、ようやく発売日当日。私のブログは長いですが、これが最後です。
※脱退や怪我やリアルな死について私の体験という偏った見方で触れています。
※深く受け止めすぎず、気軽な気持ちで読んでください。
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安田さんが誰かへと真っ直ぐに伸ばしたその手は、私へ伸ばしたものではないと知りながら、私はあの日の父のことがわかるのではないかと、半分くらい邪な気持ちで写真集を受け取った。
TLの方々のように、綺麗で純粋な気持ちや、安田さんを思うあまり心配で愛に溢れた気持ちで受け取れなかったことはどこか後ろめたかったけれど。
それでも自分の欲には勝てなかった。
仕事前、朝一番にコンビニで受け取った私の『LIFE IS』は梱包の向こうにあった。
一瞬、仕事前にその梱包を開けてしまいたくなったけれど、中途半端に触れるのはやめて仕事についた。
帰宅して、ご飯を食べて、部屋に戻って。
そっと梱包を解いた。
今から触れるのは、「生と死の輪廻」。病気をきっかけに生きることと向き合った大好きな推しがやりたいと願った写真集。
どちらに転ぶのだろうか。
発売前に二人の出会いのきっかけとなった雑誌『an・an』で組まれた、安田さん、カメラマンの岡田*1さん、編集の中島*2さんの3人の対談でもらったはずの勇気は、前日のニュースのインタビュー映像で少し萎んでいた。
最初に触れたそれは、思いがけず柔らかかった。
新聞や雑誌やニュースの特集で何度も見た、降り積もる雪を見上げる安田さんに、この手で触れた感触。
その見上げる目線の先に、安田さんは何を見ていたのだろう。
ページを捲れば答えがわかるのだろうか。そっと、その輪郭を撫でた。
そこに凍てつくような寒さはなく、柔らかさがあった。
その柔らかさは私にとっては勇気だった。
最初に探したのはミニブック。
思ったより小さなその表紙に「2017.02.09」の文字。
私はその時、何をしていただろうか。その日は晴れていただろうか。曇っていただろうか。思い出せない自分の日付と、安田さんの中にくっきりと刻まれたその日付。
一日24時間一年365日。思い出せなくても等しく時間は流れて、2020年9月24日の私に届いた。
ざらついた荒い手触りに浮かぶ、くすんだ青色の世界。
何を思って写真を残したのだろう?と疑問が浮かんだけれど、「今しかない瞬間のものはアート」と言っていた安田さんだ。
この時はまだ自分のこの先のことを考えてのことではなかったのかもしれない。
MRI画像、手術前後の写真、手術の傷跡。病室で綴った言葉。
間に挟まれる岡田さんの写真は、安田さんが残せなかったその時の「今」を表しているのかもしれないし、そうではないのかもしれない。
そして2人が初めて出会った『an・an』*3で撮影した写真。
初めて観た時から忘れられなかった、その目の奥が知りたいと思っていた写真があった。
あぁ、これはイントロだ。
LIFE ISが形になるための、長い前夜。
この写真集の始まりは、病気ではなく、きっと安田さんが岡田さんと出会ったこと。
『I am』が安田さんの心に触れた時から、病気を経験して、誰かへ繋げようと至るまでの安田さんの経験値。
だけど切り離されているから、しんどい人はこれを見なくても触れられるようにしている、そんな中島さんからの、安田さんの未来への優しさだ。
初めまして、2017年2月の安田さん。
あなたが生きていたこの記録があるから、私はきっとこの写真集を手に取ることができました。
まとまらないいくつもの思いをそのままに、 イントロから本編へと進む。
最初の印象は安田さんの喜怒哀楽。
怒っているようにも、哀しんでいるようにも、気持ちを溶いたようにも、そのどれも違うようにも見える。
大きな瞳になみなみと浮かぶ涙。私の知っている言葉が果たして正しいのだろうか。
凍てつく氷に覆われた世界。
この氷の下に何があるんだろうか。
どこかへ向かう安田さんの背中。
朝焼けかな。氷の湖の安田さんは、太陽の光に何を見たんだろう。
白々と立つ樹木は、磔の十字架のようにも見えるし、ただ朝日と呼吸をしているようにも見える。
朽ちた木に寄りかかって見上げた先に、何を感じたのかな。
氷の湖に寝そべって何を思っただろう。
もしかしたら木の呼吸や氷の下の生の気配を感じていたのかもしれない。
一面の雪景色の中で歩いてく背中。こちらを振り向く顔にかかる毛先の緑。
この人は、この人生を諦めてしまったようにも見える背中。
白い雪に浮かぶ赤い文字の中で「RE ALIVE」がやけに目についた。
もしかしたらこの人は一度亡くなったのではないか。
この人生は終わって、次の生へ向かったのではないか。
そんな風に感じた次の写真が、雪の向こうに消えていくようにぼやけていた。
次のページは、真っ暗な中で阿修羅のように浮かび上がる安田さんがいた。
その安田さんの輪郭がぼやけたり、オレンジの光に産声を上げるようだったり。
なおさら魂の輪廻の中にいるのでは?と思ったりもした。
けれど安田さんはそこにいた。
暗闇の中の安田さんは夢だったように、雪の向こうに消えたように見えた安田さんが靄を纏って佇んでいた。
少しずつ、少しずつ遠ざかっていく安田さん。
一面の鈍くて暗い青。
私はその次からの3Pでこの写真集の輪郭を見た気がした。
コンクリートなんだろうか。
雪に生える枯れ草の奥、石の建物のようなものの上に立つ安田さんを引きで撮影した3枚。
白い靄が少しずつ安田さんを隠してしまう。
行かないで、と。思わず手を伸ばしそうになった。
けれど靄が晴れても安田さんはそこにいた。
あぁこれは、どこまでも「生きる」話だ。
この3枚の並びが少しでも違っていたら、それは「死」だったかもしれない。
けれどこの並びだったから、「生きていく」ことを表したかったのかもしれないと思った。
この人は、この人生を生きている。
ー生きていく、そんな話だ。
ただの直感と思い込みだけど。それまで少し酸素が薄かったように感じていたから、なんとなく息を吐いた。
そこからのページはまるで輪廻のよう。
最初、私はこの写真集で安田さんは何度か転生したのかもしれないと思っていた。
けれど今は、過去があって今があるということなのかもしれないとも思う。
戦争の過去、奪われる命から守るための防空壕、自然で朽ちて骨になること。
横たわってこちらを見つめているような白。
とりわけ雪深い森の奥で、熊の毛皮を纏って巣穴からこちらを見つめる安田さんは、安田さんという生き物ではなかった。
安田さんであり、安田さんではない動物。
命が奪われることに怯えたように見える顔。
生きること、死ぬこと。
人間も動物も、きっとたくさんの選択肢がある。たくさんの生がある。
海のようにも見える凍った湖に立つ安田さんは、神楽を舞っているかのよう。
間に挟まれる満天の星。
そして、炎の棺桶に横たわる安田さん。
それまでのページが輪廻だと思っていたから、これは生まれるという儀式なのかもしれないし、輪廻の中の幾生かの弔いかもしれない。
ユルリ島に放たれたという野生の白い馬は安田さんに唯一温もりを分けてくださっていて、この辺りで生の温もりに触れられたことで私もそっと息を吐けた。
まるで掌から体温が伝わってくるような、温かさ。
1頭だけでなく、何頭かで群れる馬は家族や仲間の温かさを伝えてくれたみたいだった。
赤く潰れた林檎と安田さんの掌。
アダムとイブが林檎を食べて楽園を追放されたことが知性の始まりだと聞いたことがある。
無垢が失われ、楽園を追われ、死すべき定めをおって生きるには厳しい環境の中へと送り込まれる。
苦悩の中で生と死の輪廻を体験した安田さんもまた林檎で目覚めたのだろうか。
それでもどこか晴れ晴れとした表情にも見えるのは私がそう思い込みたいだけなのかな。
時々、差し込まれる氷の海は、ページを捲るたびに溶けていった。
あれは永久凍土ではない。
どれほど硬く、厚く、呼吸を閉じ込めたように見えても。
時が経てばゆっくりと、ゆっくりと、海へと戻る。
まだ厚い氷の上で舞うように腕を上げ、コートを翻す安田さんは、安田章大さんのまま光を全身に浴びていた。
この世界は厳しくても、苦しくても、安田さんのままで、この生で最後まで生きていくのだと。
いつか朽ち果てても、どこかへ命は繋がる。
自分の命もそうやって繋がってきた。
過去から繋がって、今、生かされている。
だから今を精一杯生きるのだと。
いつか海へ還るその日まで。
ー結論から言えば、私はこの写真集に触れている間、父のことは思い出さなかった。
むしろ安田さんのことで胸がいっぱいになっていた。
当たり前だ。
これは安田さんが経験したこと。
その経験を私へ分けてくれたこと。
意識してもいなかっただろう死の手からすり抜けて、初めて死を意識したのかもしれない。
たとえ思うように身体が戻らなくても、生かされていると感じること。
だから安田さんはこれまで以上に全力で今この瞬間を生きていると感じた。
こういう自分で生きていくんだと強く発信しているように感じた。
私がただそう思いたいだけなのかもしれないけれど。
それでいい。写真集に触れた感想なんて1人1人みんな違っていい。
だから私はそう思い込む。
安田さんは生きている。
そして安田さんは安田章大さんだ。父ではない。
だから写真集を通しても父のことなんてわかりはしない。
ただただ安田さんが生きていることがわかるだけだった。
けれどこの写真集の発売を通して、私が父のことと向き合えたのはとても大きな経験だった。
父が亡くなってから私はしばらく「父は弱い人だった」と思っていた。
弱いけど、苦しくても私たち家族のために頑張ってくれたんだと。
これは当たっているようで正解ではないのかもしれない。
父は自他共に認める弱い人だった。
でもやっぱり最後まで生きたかったから生きていた。
安田さんが安田さんを生きているように、父も父を生きていた。
そして私も私を生きていく。
岡田さんの仰る通り、いつか人生のふとした瞬間に死と向き合う日がくる。
運命なんて知らないけれど、どうして自分ばっかりと思うような出来事に出くわすかもしれない。
生きるか死ぬかはタイミングのような気もする。
もしかしたらエアーポケットのように、そのタイミングが合わずに、途切れてしまう瞬間がくるのかもしれない。
だからこそ、今の一瞬を全力で生きていく。
あまりに多くのことを感じ取ることのできる安田さんだ。
その感受性から発信するメッセージはあまりにも純粋で真っ直ぐだから、私は時々その眩しさから目を逸らしたくなる。
それもで安田さんが安田さんであることから目を離せない。
写真集を受け取って、私の明日からの何かが変わることは、たぶんない。
相変わらずダラダラしながら生きていくだろうし、悩んだり悩まなかったりして日々を過ごして行くような気がする。
明日の天気は晴れてるかな?今日は寒かったからどんどん冬になっていくなぁとそんなことを思いながら気が付いたらまた月日が経っているのかも。
そしていつかどこかで生に直面したとき。
安田さんが渡してくれたこの写真集が私の心を支えるのかも知れない。
あまりにも多くのことを考えすぎてしまったから、今はまだそんなありきたりな言葉でしか締めくくれないけれど。
私の人生で、このタイミングで、安田章大さんに出会えて良かった。
生きていてくれてありがとう。伝えてくれてありがとう。
あなたが見つめたその先の空が、いつの日も晴れていることは難しいのかも知れないけれど。
晴れでも雨でも雪でもあなたはきっと人生を楽しむのでしょうね。
そんなあなたを応援できることが、とても幸せです。
だから誰かの幸せを願うあなたの幸せも、どうか片隅で願わせてください。
微力ですが、どうか少しでもあなたの幸せへリンクしますように。
2020年10月20日。願いを込めて。
雨は降ってなかったと思うけど~LIFE ISに触れて③~
!注意!
※このブログはあの日の天気は晴れていたかしら?くらいの曖昧な記憶でお送りしています。妄想過多、個人の感想です。ご注意ください。
※私のブログは長い。まだ写真集に触れられていないです。
※脱退や怪我やリアルな死について私の体験という偏った見方で触れています。
※深く受け止めすぎず、気軽な気持ちで読んでください。
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①で話したように、変わらざるを得ない状況になったとしても、安田さんは人の倖せが自分の倖せと言うのだろうか?と彼の信念を追いかけたいと思ってファンに出戻った。
そして②で私はずっと安田さんが安田章大さんをどう表現するのかが見たかったからファンを続けていたことを思い出した。
そんな風に、私はずっと安田さんに何かを勝手に求めていた。
だからLIFE ISの発売を知った日、安田さんの表現したいものはこれだったんだなとなんだか感慨深い気持ちすらしていた。
安田さんが考えて、岡田さんと出会って、想いを伝えて、書いてくださった企画書を事務所や出版社に自ら持ち込んだ。
岡田さんという同士とともに、撮影場所や本の帯の言葉やタイトル、装丁の隅々まで安田さんの伝えたいことを余すことなく伝わるように作り上げられた写真集。
撮影にはマネージャーや出版社の方すら同行しなかったという。
これは私の勝手な思い込みだけれど、これまでの安田さんは例えば誰かが前に出れば、無意識に一歩下がるような印象を受けていた。
まだ大山田の知名度が低かった頃、ライブで大山田のセッションがあって、私としてはある意味安田さん達の見せ場なのかなと思っていた。
ある日、「亮もいるよ!」と錦戸さんをセッションに引き入れた時、安田さんは誰かを1人にしない人なんだと思った一方で、競争だらけのこの世界でこんなに優しくて安田さんは生きていけるのだろうかとも思った。
楽曲も、自身の感じた気持ちやその場の雰囲気が歌として降りてくる人でありながら、関ジャニ∞として強くなるために必要な曲を、と考えて作り上げる。
なんとなく、安田さんは個として飛び抜けるのでなく、グループとして強くなりたいと思っているように感じていた。
そして求められている役割に全力で心血を注ぐ。
そんな安田さんが、もしかしたら初めて、安田さんが安田さんとしてやりたいこととして、その表現を形にしたもの。
改めて、とても大切なものを受け取らせていただける。
そう思えば思うほど、たとえ世間や周りがどう言おうと、私個人として安田さんの気持ちを大事にしたいと思った。
そして、安田さんがそうまでして作り上げた写真集が、届けたい誰かに届けば良いと思った。
そう、安田さんの思いを大切にしたいと言いながら、私はずっとどこか他人事だった。
安田さんがその経験から得たものを届ける先は、私ではないと思っていた。
私は幸いなことに今現在、苦しい想いをしていない。
生きることに死ぬほど悩んだこともない。
一度緊急入院と手術を経験してお腹に手術跡が残ったものの、特に後遺症もなく、時々風邪を引くくらいで健康な身体で何の不自由もなく生活できている。
2020年8月18日、関ジャニ∞さんの新曲『Re:LIVE』フラゲ日に更新されたボク。を読んだ後で。
唐突に私は父のことを思い出した。
~ここから死についての表現があります。苦手な方は斜体部分を飛ばしてください~
それは父の死の瞬間のことだった。
危篤と言われ、病院に向かった。親戚も集まって、1日中父の呼吸の音を聞いていた。
父は苦しそうだった。
目をカッと開いて、胸は大きくぜーぜーという呼吸を繰り返していた。
意識はずっとあったと思う。
ぜんぜん安らかではない最期だった。
その目が閉じられる時、私と母と姉は父の手を握っていた。
父は、生きたかったのだろうか?
昔から、ちょっと怪我して血が出たらすぐに病院に行きたがるような、痛みに弱い人だった。
旅行先で枕が変わると寝られなくなるような繊細な人で、胃腸も弱くてよくお腹を壊していた。
母がインフルになったら、1日後には自分も熱がある気がするって寝込んでた。(実際の体温計は36℃代だったけど)
あまり精神が強い人ではないから、余命宣告は本人には告げない方が良いのではないかと主治医の方にも言われるような人だった。
そんな父は、入院中、私にはあまり弱音を吐かなかった。
夜遅くまで面会が許されていたから、毎日できる限り仕事帰りに病室に寄った。
さみしがり屋な人だったから、母が1日2回、夜には私が顔を出すのが嬉しかったと母から聞いた。
1度だけ誕生日にお手紙を書いて病室にお見舞いに行った時だけ、泣き顔を見たけれど、最後には「頑張るね」と言っていた。
でも母に言わせると、苦しいとかつらいとか、もう長くないとかずっとそんなことをばかり言うと言っていた。
父は本当に頑張りたかったのかな。
がん細胞が身体を蝕んでいって。
徐々に徐々に歩けなくなって、起き上がれなくなって、笑わなくなって、喋らなくなって。
歯を食いしばって薬を拒否したり、一時帰宅後に病院へ戻る時はベッドに捕まって抵抗していたこともあった。
私は父ではないから、その苦しみはわからない。わかってあげられなかった。
でも最後まで、お父さんは意識があった。
苦しいことや痛いことが苦手な父は、最後まで目を開いていた。
最後まで、頑張っていた。
でも、本当は頑張りたかったのかな。
わたしたちかぞくが、おとうさんに苦しい思いをさせてしまっていたんじゃないかな。
わからない。
わからない。
~ここまで~
あの日、ボク。で安田さんは「今何かで辛くキツい人がいたら、症状は違えどそっと寄り添いたい。」「”独り”じゃない事を実感し、重い一歩を踏み出すきっかけになるかもしれない。」と思ったと言っていた。
誰かの背中を少しでも押すことのできる本になれば良いと思って出すことを決めたと。
そして「こういう本を求めている人も周りにはいるかもしれないから」、「周りに伝えてくれると嬉しい」と。
たとえば、闘病中や後遺症と闘っている方や生きることに疲れている方とか。そんな方へこの本の存在が伝わるように、と。
ボク。を読んだ直後は、私はずっとこの真摯な安田さんの想いが、誰かへ届くといいと思っていた。
安田さんが悩んでいたという20代前半に、今回撮影をしてくださったカメラマン岡田敦さんの写真集『I am』に触れて感銘を受けたように。
正直に言えば、私はテーマがテーマなだけに思うところがあって『I am』にきちんと触れられていなかった。
でも4月の関ジャニクロニクルFで安田さんが読み上げた岡田さんの言葉*1を聞いて、それは私の浅い考えと思い込みからきた偏見で臭いものに蓋をしていただけなのかもしれないと気付けた。
安田さんが読んだ言葉は、『I am』の後書きの一節だった。
人生のふとした瞬間に”死の気配”を感じることがある。だがそんな時ほど自分の生と真剣に向き合うことはない。それは、傷を負うことによって自分の存在(Identity)を確かめようとする行為と、どこか似ているのかもしれない。(『I am』岡田敦)
その後に、岡田さんはこう続けている。
~中略~
人は自分の理解を超えたものや、決して認めまいとするものに対し、言葉による枠組みをつくり、分類することによって自らの平穏を保とうとするが、私は彼女たちと自分たちとの間、あるいは彼女たちどうしの間に、大きな違いを見つけることができなかった。
私は生きている。彼女たちもまた生きている。そこに、人間が生きているということの根源的な差異はない。
~後略~
(『I am』岡田敦)
予約していた『Re:LIVE』を受け取って家まで帰る道すがら、 不意にあの日の関ジャニクロニクルFでの岡田さんの言葉とともに父のことが一気に駆け巡ってきた。
私は「闘病中」でも「後遺症がある」わけでも「生きることに疲れている」わけでもまったくない。
まったくないけど、このボク。を読んで、父親のことを思い出した。
父のことを思い出して、徐々に徐々に涙がこみ上げてきて。
気が付いたら、特典映像のUPDATEの愛媛公演*2のCHUU*3を見ながら号泣していた。
なんでここで?って自分でも分からないけれど、涙が溢れて止まらなくなった。
私は安田さんが手を伸ばしたいと思っている対象ではないのだけど。
あの日、病室で父の死を見届けた私の心に、安田さんがそっと何かを渡してくれた気がした。
ようやく向き合えた、そう思えた。
安田さんのボク。や教えてくれた岡田さんの言葉や、これまでの安田さんの言葉や、写真集を発売するというニュースを見たときや。
きっと少しずつ少しずつ、自分では気付かない内に降り積もっていたこれまでのいろんな思いが決壊して止まらなくなったのだ。
逃げてた自覚もなかったけど、父の死から、父の命から、私は目を逸らして自分の生活のことだけを優先していたのかもしれない。
父が生きたかったこと、最後まで生き抜いたこと、いつの間にかそれを忘れていた自分がいた。
父や死や生なんて、そんなわからないことを考えても仕方ないと、ずっと目を逸らしていた。
そうだ、私はずっと父の生から目を逸らし続けていたんだ。
後悔でも悲しみでもなんでもない感情が胸を押し上げるままにボロボロと泣いた。
そして安田さんの見つめる先を知りたいとこれまで以上に強く思った。
それは父をもう一度思い出すことでもあった。
続きます。
次がたぶん最後です。
もしかしたら曇っていたかもしれない話~LIFE ISに触れて②~
!注意!
※これは①の時から言うべきだったけど、このブログはあの日の天気は晴れていたかしら?くらいの曖昧な記憶でお送りしています。妄想過多、個人の感想です。ご注意ください。
※私のブログは長い。まだ写真集に触れられていないです。
※脱退や怪我やリアルな死について私の体験という偏った見方で触れています。
※深く受け止めすぎず、気軽な気持ちで読んでください。
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①で書いたように、安田さんの病気の公表きっかけで関ジャニ∞さんに出戻ることになった私は、関ジャニ∞さんが7人の終わりを全力で駆けていくのを見た。
そして、凍結していたTwitterを開き、GR8ESTのレポを漁った。
7月15日の北海道から始まり、名古屋、大阪、東京、9月16日福岡、そして台湾公演と振替・追加公演まで。
正直、私はこの頃、「安田さんが」出たいと言ってGR8ESTに出たんだと思っていた。
安田さんはいつだって自分のことより人のことを優先していたように思えたから、周りは止めたかもしれないけど、自分の体調よりファンの安心を選んだんだと思った。
よく知らないくせに勝手に想像していた。
だから大倉さんの「お前を失いたくない」や「大切なのは親友の命」、「少しでも無理をしているように見えたら、スタッフの判断を待たずに自分の判断でステージから降ろす」と言う発言を聞いて、
出ると決めたら全力で無理をしてしまいそうな安田さんの傍にこの人がメンバーとしていてくれることはなんて心強いことなんだろうかと思った。
(この時だけではないけど、今でも関ジャニ∞さんが安田さんの傍にいてくれたあの日々のことをこの先もずっと感謝していきたい。正直どの立場で言ってるんだと思うけど、でもありがとうという気持ちは忘れたくない。)
名古屋と大阪が終わって、安田さんが東京公演で髪を切ったというレポを読んだ時は、安田さんの中で何かの区切りがついたのだろうかと思った。
その後の音楽特番で、安田さんがモヒカンになり、ピアスをバッチバチに開けた姿を見た時は、なるほど今はこんな気分なのね…とあまり深く考えずに受け止めていた。
少しだけ違和感を感じるようになったのは、その特番の次の日。
大阪での音楽特番の空き時間にピアスをあけに行って、公園を散歩したと書いていたボク。*1を読んだ時。
地面に寝転んでサングラス越しに空を見つめているお写真とともに、偶然出会った方々への感謝の気持ちを載せていた。
なんでかな。なにかあったわけでははないけど、安田さんの心になにかあったのかな?となんとなく心がざわざわした。
何度かブログでも書いているけど、私は物心ついた時からのジャニオタだ。
一概にジャニオタがそうであるとは限らないけれど、私はこれまでどちらかというと「可愛い男の子」が好きだったと思う。
だからモヒカンもお髭も拡張ピアスも、個人的な好みではない。(と思っていた。この時は。結局、安田さんがとても格好良いのでこれはこれで好き~!と気が付いたら安田さんが安田さんであれば好きだと思う身体になっていたので、安田さんは恐ろしい…)
でも、安田さんがそうしたいなら、まぁいいのではないかと思っていた。
私はあくまでただのファンなので、推しは自分がしたいように生きていってもらいたい。
そして推しがやりたい活動を見させてもらえることがなによりの僥倖だと思っているタイプのファンなので、
安田さんが好きなように生きているならそれでいいと思っていた。
ただ、サングラスについては、安田さんのやりたい活動の幅が狭くなってしまうことがあるのではないか?
それ以前に安田さんの身体はこの世界で生きていくのに本当に大丈夫なのだろか?と失礼ながらそんなことを思っていた。
(だいたい腰と背骨の骨折ってだいぶ大事では?お医者様の言う「完治」って「元の状態に戻ること」ではなくて「骨がくっついてこれ以上治療としてやることがないこと」では??日常生活を送るためにはまだまだリハビリが必要なのでは???そんなすぐに踊っていいものなの??と自分や身内の体験から勝手にモヤモヤしていた。)
私たちファンには早い内から強い光がダメだと教えてくれた安田さん。
安田さんの生きる世界に強い光が当たらない場所があるのだろうか。
舞台、コンサート、TVの収録や映画やドラマの撮影…
「照明さん」と呼ばれる職業の方が当たり前にいらっしゃる世界だ。
ライトがいつも煌々としているイメージがある。
アイドル、芸能界という仕事場で、強い光が当たらない瞬間はどれだけあるのだろうか。
強い光は、安田さんの身体にとって優しくない。
安田さんのいる世界は強い光が当たり続ける場所だ。
その事実と現状を想像して勝手に胸が苦しくなっていた。
手放せなくなったサングラス越しの目に、浮かんだ何かはなんだろうか。
あの頃の私は安田さんを応援しながら、そんなことを考えていた気がする。
何かに迷っている?何かを考えている?
その「何か」はなんだろう。
TVの向こうで笑っている安田さんはいつものようにふわふわしているのに、薄い皮の一枚向こうに、何かを抱えているように思えた。
だから見届けたいと思った。
安田さんはこの先、何を選ぶのだろう。何を表現するのだろう。
もしかしたら、この人の活動が見られなくなる日がくるのだろうか。
この先の未来に何を選択して、何を表現するのか。または表現しないのか。
今を生きているこの人から目を逸らしたくないなと思った。
この人がこの世界で何を表現するのか、それを見届けたいと思っていたのが2018年年末頃。
少し遡るけれど、①で書いたように、
出戻るきっかけは「人の倖せが自分の倖せ」と言っていた10年前の安田さんの変わらない生き方を会見きっかけで思い知ったからで、
その前、出戻る前の私は安田さんの作る曲がとにかく好きだった。
ただでさえdsire墜ちのやすば*2担だったので、kicyuや3兄弟を知って、安田さんの作曲能力の高さにずっとワクワクしていた。
ビックリ箱のように、毎回毎回「こうきたか!」と唸る曲を編み出す人。
プロローグオブパッチ*3でTOPOPを観た時は頭の先から電流が流れたみたいに感じた。
その当時、ファンブログというものをよく読ませていただいていた。
尊敬して大好きなブログ主さんの言葉で忘れられないものがある。
その方は関ジャニ∞さん箱押しの方で、特定のどなたかが好きというよりメンバー全員好き!という方だった。
ブログでは、シングル・アルバム全曲のパート割やハモりの分析や曲の感想を書かれていた。
私はそれをいつもワクワクしながら読んでいた。
アルバム『∞UPPERS』が発売された時もメンバーそれぞれのソロ曲をMVとともに全曲解説してくださっていた。
その中でその方が何気なく書いていた、
「安田さんはソロになればなるほど、曲や役を自由に表現する*4」
という言葉。
例えばdesire*5やkicyu*6のように「誰かの表現したいこと」を曲に落とし込んであんな名曲が2曲も生まれる。
わたし鏡・アイライロ・TOPOP*7のように安田さんがソロとして安田さんの表現したい曲を作ってもこんな名曲揃いになる。
安田さんは誰かの表現したいことを最高の曲として形にすることもできるし、
安田さんの表現したいことを曲として表現したら鳥肌が立つようなものができあがる。
もっとこの人の表現が観たい。この人の作る曲が聴きたい。
いつかこの人が表現する、この人が作るアルバムを聴いてみたい。
もちろん関ジャニ∞さんが大好きだったし、関ジャニ∞さんの曲もたくさん聴きたかったけど、それと同じくらいの気持ちでそんなことを思っていた。
関ジャニ∞さんのやりたいことが、安田さんのやりたいことが、その表現が観られるのを楽しみにしていた。
でもそれから先、安田さんは「関ジャニ∞にはない武器を」をいう言葉をよく口にするようになり、「自分の気持ちを曲にしたものは世に出すようなものじゃない」と言うようになっていた。
だから徐々に、安田さんのやりたいこと=関ジャニ∞さんとしてやりたいこと、なんだなと理解した。
関ジャニ∞さんが好きだったから、嬉しい反面、勝手に自分が抱えた「いつか安田さんが安田さんとして表現した曲を聴いてみたい」という気持ちは、
安田さんが望んでいないなら口にしてはいけないんだと思った。
だからそれ以降、ずっとその願いを封印していた。
誰かの言葉に縋って、願いを呪いに変えたくなかった。
安田さんがやりたいことをやるのが全て。
そのやりたいことの活動の範囲内で、好きになったり応援したりする。
それが私のスタンスだったけれど、 振り返ってみると、10年前も2018年も、私は安田さんが安田さんとして何を表現するのか?
そればっかりをずっと呪いのように追っていたのだと気付いた。
続きます。
またいつか気の向いたときに書きためていきます。
不快にさせたり、誰かを傷つけてしまったら本当にすみません。
あの日もたぶん天気は晴れだった話~LIFE ISに触れて①~
!注意!
※①で5670字。
※こんなに長いのにまだ写真集触れられていないという絶望。続きはゆっくり書いていく予定です。
※脱退や怪我やリアルな死について私の体験という偏った見方で触れています。
※深く受け止めすぎず、気軽な気持ちで読んでください。
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自分では神格化しているつもりも、偶像崇拝しているつもりも、消費しているつもりもないけれど(でももしかしたらどの要素も存分にあるかもしれないけれど)、
安田さんが安田さんらしく(と私には見える)生きているのを見ると、素直にとても嬉しくなる。
なので、Twitterではついつい「今日も安田さんが生きている!地球ありがとう!」と宗教みたいに安田さんに滾ってしまう。
そんな私にとって生きていることを讃頌してしまう安田さんが、先日、写真集『LIFE IS』を発売した。
最初にこのニュースに触れたのは、お盆中にやることがなかったので部屋の大掃除と模様替えをしたら筋肉痛になっていた朝だった。
…かもしれないし、昼に近かったかもしれない。
鳥頭なので時間も天気もよく覚えていないけれど、たぶんいつものようにベッドでゴロゴロしながらTwitterを開いたら、TLがこの話題でざわざわしていた。
「写真集…?」と面食らったけれど、表紙の横顔とその髪や眉毛に積もる雪が綺麗で、とりあえず安田さんの顔面力に感謝を捧げた。
ひとしきり顔面力を拝ませていただいた後でようやく脳が活字を理解し始めると、「闘病写真集」とか「脳のMRIの画像公開」と言う切り取り方に複雑な想いを抱いた。
安田さん自らが企画、交渉したこと。
手術や怪我をしたことから感じたこと、経験したことを伝えたいと思ったこと。
テーマは「生と死と輪廻」。
安田さんの「ボクに触れてみて」という言葉。
これらを並べて世間へお伝えしようとすると、「アイドルの闘病写真集」となるらしい。
なるほど…。相変わらず安田さんの生きている世界は厳しいなぁと勝手にその環境を想像して複雑な気持ちになった。
けれど自分で安田さんの言葉や経緯を読んで、
「病気をきっかけに、生と死と人生に向き合った経験を写真集という形にした。もしも苦しんでいる方がいたら、自分の経験を分け合うことで、見えないけれど苦しみを抱える誰かに手が届くのかもしれない。」
という気持ちなのかなと、わりとすんなりと落とし込めた。
安田さんは伝えたいことがある。
表現したいものがある。
その手段が写真集という形になった。
そしてその写真集を手に取ってもらうためには、こういうセンセーショナルでエモーショナルな切り取り方の方がきっと世間に伝わる世界なんだなと。
複雑だけど、多くの方の目に触れれば、その分、安田さんが届けたいと思っている誰かに届く可能性が高まるのかも。
そうやって切り替えて、安田さんの想いが届く方が、どうかこのニュースの先に、写真集発売の先に、1人でも2人でもいますようにと願った。
そう願うことで、自分の苦手な切り取り方やその先の「真意が伝わらないかもしれない人たちや出来事」からは目をつむることにした。
たぶん、安田さんはそんなこと百も承知なんだろうな、と思っていたから。
自身の身ひとつが武器の世界で、いろんな評価を受けてきた人だろうから。
この写真集を発売することで、どんな風に切り取られるのか、どんな風に思う方々がいるのか。
アイドルという職業が夢を与える職業であるなら、「裏側を見せないこと」がプロであるという考え方もある。
裏側が見えないから「夢を見ていられる」ファンもいる。
私が想像するよりもっと身をもっていろんなことを体験して、理解している人だと思う。
その上で、「写真集に触れてみて」と言っていただけるのなら、思いっきり触れさせていただきたいです!という気持ちだった。
そしてなにより、安田さんが自ら「やりたい」と思った表現が形になるのが嬉しい。
やりたいことがあって、仕掛けて、行動して、実現した。
すべては安田さんの意思だ。
それが実現したことがなにより嬉しいと思った。
なので、後にTLに流れるいろいろな心配や各々の事情からくる複雑な心境とはまた違った気持ちでこの写真集の第一報に触れた。
複雑だと感じた気持ちを分解して飲み込んだら、後に残ったのは単純に楽しみだなという気持ちだけだった。
そういうわけでフォロワーさんのように8月14日の出来事をしっかりと覚えていないけれど、
その後の8月18日の安田さんのブログ『ボク。』で写真集のお話を読んだ時、「あぁ、こういうことか」と自分の気持ちがパズルのピースのように嵌まったのを感じた。
嵌まったピースは、私はどうしてあの時、安田さんの出戻りファンになったのかということ。
今、どうしてこんなに安田さんに惹かれるのかということ。
以前のブログで関ジャニ∞さんのファンになったきっかけを書いた。
と言っても、やすばを供養するために書いたのですでに記事は下げている。
簡単に言うと、初恋の人・堂本剛さんが関ジャニ∞さんをいたくお気に召していることと、バラエティで見るヨコヒナがあまりにも面白かったので、関ジャニ∞さんのバラエティや歌番組のトークを見まくっていたら、やすばを知ってしまってシンメオタクの血が騒ぎ、気がついたら沼に浸かってました、という感じ。
そしてこれも以前にも書いたけれど、剛さんはパニック障害を抱えていて、人前に出ることで何度も過呼吸の発作を繰り返していた。
後に「死にたい、死ねない、また死ねなくて朝が来た…という気持ちで眠れない日々だった」とか「デビューから数年の記憶がない」と語っている。
そんな状態だったので、TV番組に出ると、人からの視線から逃れるように前髪を下ろしていたり、俯いている日もあった。
ライブ中も笑えない日や相づちが精一杯で早めに袖に引っ込んでしまうこともあった。
だから、TVやライブでその姿を見る前に「今日は元気かな?体調が悪くないかな?」と心配するのが当たり前だった。
そんな日々が数年間続いていたので、安田さんを好きになった時にまず「あ、この人は心配しなくていい人なのか…」と思ったことを覚えている。(どちらに対しても私が勝手に思っていたことだけど)
12年前の安田さんは、「人の倖せは自分の倖せ」と事あるごとに言っていた。
そしてその言葉通り、優しくて、自分より人のことをばっかり気にしている。
バラエティでうまくいかなくても、メンバーに強めに弄られても、TV番組でも、ライブでも、いつでもニコニコ笑っている。
元気だった。
そう見えた。
白状すると、安田さんの「人の倖せは自分の倖せ」を初めて知った時は、よくあるアイドル的なやつかなぁとか捻くれたことを考えて、言葉半分に流していた。
けれど、安田さんを追っていくと、いろんなところでその言葉を目にした。
そしてメンバーから聞く安田さんのエピソードはその言葉を体現していることが多かった。
いろんなエピソードがあったけど、あの当時(※察してください)のNEWSのライブに錦戸さんに内緒で安田さんが観に行って、客席でその姿を見かけた錦戸さんが嬉しかったと言ったことや、
バンド練習の時にみんなが帰った後も、村上さんのキーボードの練習に最後まで付き合って残ってくれたと村上さんが言っていたこと。
(ちなみにその後で「お礼に食事奢るわ」と言ったら「そんなんいいから早よ弾け」と断られたところまでセットでこのヒナヤスエピソードが好きです。というかご飯行かない期の安田さんのお断りバリエーションと村上さんのめげなささがよくわからないけどツボ)
錦戸さんが風邪を引いたことに、何も言っていないのに安田さんだけが気付いてくれたとか、横山さんだったかな?体調が悪いことを察して後でメールをくれた、と言っていたのは…。
ロケで一緒になっただけのお笑い芸人さんが雑談でお子様の話をしたら、「さっき買い物に行っていたからお子様へ服を買ってくればよかった」本気で残念そうに話してくれたとか。
人への優しさだけでなく、楽屋に迷い込んだカナブンをわざわざ花壇へ逃がしてあげたり(以前にカナブンを窓から逃がしたら飛ばずに地面に落ちたのを見て「飛びたくないカナブンもおるんやな」と気づき、それから窓から投げるのではなく、花壇まで逃がしてあげるようにしているらしいというすばるくんによって語られたこのエピソードも大好き)、
ライブ中に錦戸さんが蚊を叩いて殺したら、「殺さなくても逃がしてあげれば良かったのに」と安田さんが注意していたというライブレポを読んだ時は、この人は本当に命を大切にしているんだろうなと心の底から衝撃を受けた。
そんなことがごく自然と、本人からではなく周りにいる方々から次々と語られるので、ひねくれ者の私でもこれは安田さんの本当の気持ちなんだろうな…と、自然に受け取れるようになっていた。
だから安田さんを最初に好きだったあの頃の 私にとって、「安田章大さん=人の倖せが自分の倖せ」という図式は当たり前のこととしてそこにあった。
それからいろいろあって、主に仕事が楽しすぎたり、父親が病気になったり、自分が病気になったりして、何かきっかけがあるわけではなかったけれど、関ジャニズム辺りから徐々に安田さんから離れてしまった。
そして、2018年4月。
関ジャニ∞さんから離れてしまっていた私にとっても衝撃を受けた渋谷さんの脱退のニュース。
今の関ジャニ∞さんを知らないくせに、今さらすばるさんが脱退するなんて信じられなかった。
でも会見を見て、現実だと知った。
安田さんが自宅で転倒して背中に打撲を負って療養中ということは、頭の片隅で気にかかったけれど、それよりすばるさんがいなくなることが悲しくて。
今は関ジャニ∞さんに熱中しているわけでもないのに、あるのが当たり前だと思っていたものの形が変わってしまうことが耐えられなくて。
なんとなく自室に残したままだった関ジャニ∞さんの円盤やらグッズやらをどうしても残したいもの以外は一度すべて処分した。
ー今、思えば。
当時、父親が亡くなってから2年。
一周忌だって終わっていたのに、どこかでまだ長い旅行に出ているだけでいつか帰ってくるんじゃないかとか頭の片隅で考えていた。
病室で父親の息が止まった瞬間も見て、遺体に触れて、遺骨も拾って。やったのは挨拶くらいだったけど喪主になって。
ぜんぶ五感で感じていたのに、どこかでまだ現実感がなくて。
でも、たとえば母親と旅行に行こうかと話したとき、あぁもう父親との思い出はこれ以上増えないんだなと思った。
母親は元気そうに見えたけど、不意に父の話が出ると泣いていた。
たぶん現実を受け入れられる日とそうじゃない日を繰り返していたんじゃないかと思う。
そんな日々が日常だったから、あの時、私の心は「好きなものの形が変わること」を受け入れられる余裕がなかった。
(関ジャニ∞さんにとって私は何の関係もない人だから、これは勝手なこちらの都合だったけど。)
だからこれ以上「当たり前だと思っていたものの形が変わる姿」を見たくなくて、関ジャニ∞さんを視界からシャットアウトしようとした。
そんな感じだったと思う。
もうこの先、関ジャニ∞さんには触れないだろうなと思った。
大好きを大好きなまま自分の箱の片隅に閉じ込めてしまおうとしていた。
2018年7月2日。
ニュースで安田章大さんの病気と怪我のことを知った。
そのときはファンクラブには入っていなかったから、新聞記事の中のコメントで「渋谷が抜けて不安定な時だからファンの方に安心してもらえるように顔を見せに行きたい、安心を届けたいと思ってライブに出ることを決めました」と言っていることを知った。
そのコメントを知って、すぐに頭をよぎったのは「人の倖せは自分の倖せ」だった。
手術をしてもステージに笑顔で立ち続ける。
大怪我をしていても、ファンに安心してもらうために6人全員でステージに立つ選択をする。
それは大切な誰かに安心を届けたいから。
あぁ、この人は何も変わらない。何も変わってなんていない。
安田さんは言葉として「人の倖せが自分の倖せ」と発していたわけではない。
ずっとそれは信念だった。
私が勝手に想像していた以上に、安田さんの芯は太く強くしなやかだったんだだろう。
形が変わっても、変わらないものがある。
この人の生き様を、生きていく先に表現するものを、もっと近くで応援していきたい。
溜まらなくなってジャニーズWEBに登録して、レンジャーとボク。を読んだ。
そこに大倉さんと錦戸さんの言葉があった。
GR8ESTは間に合わないけど、そのままファンクラブに入った。
安田さんがファンに向けて報告してくれている会員向けの動画をきちんと観たかった。
努めていつも通りを保っていようとしてくれている村上さんや、
感情が溢れすぎていてむしろ無表情にも見える大倉さんや、
まとまらないマーブル模様の気持ちがそのまま顔に浮かんでいる丸山さんや
なにかを決断したような厳しい顔で前を向く錦戸さんや、
無でも有でもなく、迷っているのか決断したのか決めきれない複雑な感情が溢れている横山さんがいた。
安田さんのそばに、安田さんを心配してその上で尊重して、でもやっぱり心配して、一緒に覚悟を決めてくれている関ジャニ∞がいた。
それはあまりにも私の好きだったままの関ジャニ∞さんだった。
当たり前だった。
関ジャニ∞さんは何も変わっていない。
私が勝手に変わっただけだ。
そしてこういう時にだって、関ジャニ∞さんはありのままだった。
ありのままで、優しくて強くてがむしゃらだった。
変わらないものがある。
でも変わらないものを持ちながら、本人達の意思ではなく変わっていかざるを得ないことがある。
それでも安田さんは変わらず「人の倖せが自分の倖せ」と言うのだろうか。
10年前、私の触れていた安田さんはこの先、どんな人になってどんな表現をしていくのだろうか。
できれば遠くからではなく、ファンの1人としてそばでその表現に触れていたい。
それが、出戻ったきっかけだった。
(この先は②に続きます。また後日、アップします。)