青いものを応援しているだけのゆるい話

関ジャニ∞の安田章大さん、KinKiKidsの堂本剛さん、中日ドラゴンズと青いものを応援する人生。思いついたことを思いついたままにゆるく長文で語ります。※個人の感想です。

アイドルを消費する話

!注意!

 これは病気といったとてもデリケートで個人的な問題に触れています。

 また、彼らのすべてを知るわけではない一般のファンの記憶です。

 偏った見方による意見が大いにあります。

 事実はご本人しか知る由がないし、本人でない者が語るべきでもないことはよく分かっています。

 これはただ気持ちの整理に書かせてもらいました。

 なので、どうかこれを読んで「すべてがわかった」と思わないでほしいです。1個人の偏った意見だと念頭に置いた上でお進みください。

 

 

2020年6月1日、1人のアイドルが芸能界を引退した。

・・・正確には、「していた」ことがわかった。

はじめに断っておくと、私は現時点で安田章大さんのファンで、ドルオタとしての生まれと育ちは堂本剛さんであり、正直に言えば女性アイドルはお茶の間で応援しているくらいで、推しと言っていいほど私は彼女を推せていない。

ただ、TVやネットで活動をチェックして、「可愛いな」と思ったり、公式Twitterをフォローしたり、カラオケで彼女の曲を歌ったり。

総選挙で1位になった時は嬉しかったし、卒業する時は少し寂しくなって、仲良しの仲間との動画を見てゲラゲラ笑って、ドラマが決まれば喜んだ。

でもCDを買ったこともないし、ライブや握手会に行ったこともない。

推しとは言えない。

本当に彼女を推していた人にとってはとても失礼なくらいの熱量でしか彼女のことを知らない。

私はただほんの少し、彼女に興味がない世間の方よりほんとに1㎝くらい多く彼女のことが好きだなと思っているだけの人間だった。

 

現時点で発表されている彼女の芸能界引退の理由は健康上の問題らしい。

ちょうど前日、別のアーティストの1人が心身症により長年所属したグループを脱退したというニュースを見た。

 

ー健康上の理由

心身症

 

幼い頃から芸能界に身を置き、第一線で活躍されてきた方には、その方やその方と触れ合ってきた方にしかわからないことがあるのだろうなと思う。

とはいえ彼や彼女のことを良く知らない私のような人間が、ちょっとニュースで見聞きした程度の知識と感情で何かを書くのは、彼女や彼を大切に思う誰かを傷つけるかもしれないので、このことはこれ以上は書きません。

 

冒頭でも書いた通り、私のアイドル好きは堂本剛さんから始まっている。

小学生の時にドラマに出演していた剛さんを初めて見たときに雷に打たれ、そこからずっと夢中で彼を応援してきた。

デビューが決まった時、初めてCDを予約して買うことを覚えた。

個性が正反対の2人組の彼らは私が応援し始めた時にもすでにスターだったけれど、デビュー後あっという間に大スターになっていった。

クラスの女子が剛さん派・光一さん派で2分されたと言われるくらい彼らは人気で、事実多いときは週5~6本のレギュラー番組に、ドル誌やラジオなんかを加えるとレギュラーは数え切れないほどあったのではないだろうか。

それに加えて、ドラマも毎クールのようにどちらかが主演し、番宣でいろんなバラエティや情報番組に出させてもらい、新曲を出せば1週にとどまらず2~3週は歌番組に出ずっぱりだった。

年に1度必ずアルバムを出し、全国ツアーをしていた。

全盛期、「何年かぶりに年に3日も休みをもらえた」と歌番組で語っていたことを覚えている。

 

当時、私は与えられる供給のままに2人を応援し、キラキラした活動にワクワクし、日ごと更新される新しい情報に必死で彼らを追っていた。

光一さんも好きだったけれど、私は剛さんの歌声が大好きで。

それは今でも変わらない。繊細で壊れそうでどこか寂しさを抱えた声。

そんなガラス細工のような声とは反対に、TVでもライブでもニコニコ笑って、楽しそうにボケて。

やんちゃでお笑いが好きな堂本剛さんと繊細で大人しそうで王子様な堂本光一さん。

当時の世間の認識はこんな感じだったんじゃないかな。

 

いつの頃からだろう。

剛さんから笑顔が消えたのは。

 

俯くことが多くなった。

前髪を下ろしたり、人前で髪を弄ることが増えた。

バラエティや歌番組でもただ相づちを打つだけの日があった。

ライブ中に倒れそうな顔をしていた。

ステージに出られない瞬間があった。

 

初めは心配の声が多かったと思う。

あまりにも忙しい彼らだからハードスケジュールで体調を崩したのではないかと。

 

剛さんの体調があまり良くなさそうに感じられることが増えた辺りから、光一さんがMCを回したり、ソロで番組を持つようになっていった。

ライブでもバラエティでも、剛さんが笑えない日は光一さんが全力で私たちを笑わせてくれた。

 

そしてそれが何年も続くうちに。次第に剛さんへの叱責や批判の声が増えていった。

世間の声ではない。

それは私たちファンの中からの声だった。

 

 

「アイドルなんだからステージに出ているときは笑え」という。

 

 

当時は今のようにSNS時代ではなかったけれど、ファンブログやファンサイトで、時々そんな感想を目にすることがあった。

 

そしてそんな頃。

剛さんがライブ中に体調不良で倒れ、ステージから姿を消したことがあった。

コンサートの途中の日程だったと思う。

 

そのとき、初めて世間に剛さんの病気を公表した。

 

それまで剛さんが自身のソロ曲のタイトルにしたこともあって、ファンであれば知っていたことではあったけれど。

たぶん発症から6年くらいかかって、ようやく「世間へ」公表できた。

 

 

 その公表より前に、剛さんが大きな過呼吸の発作を起こしてステージに立てなかった夏のドームツアー。

私はその次の公演に入っていた。

 

今でも覚えている。

開演前、近くの席のファンの方が「剛さんが1部で倒れたらしい」とか「腕に点滴の跡があった」とか「全然笑ってなかった」と心配そうに語っている中で、どなたかが呟いた、

 

 

「またかよ。」

 

 

 そう、「また」だったんだよね。

 

 

何度も何度も。人前に出るたびに発作が起こるのに。

立ちたくなんてないだろうステージの上で、それでも剛さんは立っていてくれた。

 

殺人的なスケジュールに愚痴をこぼしながらも、何度も襲ってくる過呼吸に怯えながらも、そこにいてくれた。

大勢の目があることでパニックになって過呼吸を起こすという病気を持ちながら、何万人という人の前に、たった2人で立ち続けてくれていた。

 

2000年の夏。ライブ中に大きな過呼吸の発作が起きた。

2003年のツアー中。ステージ上で倒れて初めて病名の公表に至った。

 

後に、剛さんが「デビュー直後から数年間の記憶がない」とか「ずっと死にたい、死ねない、死ぬ勇気がないを繰り返していた」と語ったのを耳にしたとき。

 

私は自分がわからなくなった。

 

剛さんが好きで、大好きで。

元気がない時は心配で、笑っていてくれると嬉しくて。

 

過呼吸になって苦しんでいることはなんとなく知っていた。

知っていた。知っていたのに、そこに立ってくれていたから。

 

 

私はただ、剛さんを追いかけていた。

 

 

それはどれほど残酷なことだったのだろうか。

 

 

私はデビュー当時も2000年も2003年も剛さんが大好きだった。

私が剛さんを見て、「楽しい」とか「カッコイイ」とか「好きだな」という気持ちをもらっている数年間、剛さんは葛藤を繰り返し、病気と闘う日々だったんだろう。

 

笑えない日も多かった。

その日のコンディションによって、元気な時とずっと俯いている時があって。

ライブは毎回ルーレットみたいだって言われたこともあった。

 

そんな声、たくさん届いたんだろうな。

もしかしたら直接言われることもあったのではないかと思う。

 

私がただただ剛さんが好きだなと思っていた数年間、剛さんはずっと「死にたかった」と知った。

 

CD発売が決まればすぐに予約して、歌番組やレギュラー番組を録画して何度も見て、ドラマが決まれば毎週楽しみにリアタイして。

雑誌を買って、ラジオを聴いて。

KinKiさんや剛さんの活動は、私の日常の中の大きな楽しみや希望や喜びだった。

 

平凡な日常生活に輝きをくれるアイドルが、輝きをくれる裏側に死にたいほどの心の病を抱えていた。

 

私の「好きという気持ち」が、=アイドルの喜び、ではないこと。

アイドルとしてキラキラとステージに立つ人間にとって、必ずしもファンの「好き」が声援にはならないこと。

にも関わらず、私は堂本剛さんという人間をずっと消費していたということ。

 

 

私はこの事実を、剛さんが好きだという気持ちとともに、何年もずっと自問自答したり目を背けたりしていると思う。

今は当時と同じくらいの熱量ではなく、それでもライフワークのようにKinKiさんや剛さんの活動をのんびりと追っている日々だけれど。

 

その事実が今でも時々、胸を刺す。

こうやって誰かのニュースを聞いたときに。

まるで「忘れるな」と言うかのように、ぶり返す。

 

 

誤解がないように言っておくと、剛さんは別にファンに対してこんなことを一言も言っていない。

むしろファンをとても大切にしてくれて、寄り添う言葉しかくれない。

 

剛さんは現在、病気と付き合いながらステージに立ってくれている。

けして治ったわけではなく(なんなら難聴や膝の負傷まで抱えているけれど)、ご本人が死にたくなる気持ちを知っているからこそ、剛さんを応援するファンのそばに寄り添うように生きてくれている。

闘って、葛藤して、音楽に救われて。

自身の活動が、誰かの心の支えになれば良いと願いながら歌ってくれている。

そして彼が今もステージに立っている裏側には、いろんな方の支えがある。

 

中でも光一さんは、剛さんをずっと支えてきてくださったと思う。

KinKiファンの間で都市伝説のように語り継がれる「剛は俺が守りますから大丈夫です」という光一さんの発言。

確実なソースはわからないけれど、どうやらソロ活動が増え、不仲説が流れる中で、ソロコンの記者会見の時の質問に対しての返答らしい。

そして、剛さんが突発性難聴になった時の「ね、剛くん。頑張ろうね。」。

20周年のステージに立てなかった剛さんへ、1行でも2行でもいいから歌詞を書いてと渡した光一さんの曲。

光一さんの「守ります」が本当に言ったかどうかなんてどうでも良くて、今も剛さんがステージに立ってKinKiKidsでいてくれているということが、なにより光一さんが剛さんを守ってくれていたんだろうなとわかる。

そして剛さんは、なによりKinKi Kidsが、堂本光一さんが、二人を応援するファンが大好きだと思う。 

 

それでも私は時々、立ち止まる。

 

彼らの活動に希望や喜びや楽しみをもらいながらも、その活動を消費することが彼らの心身のどこか深い部分を傷つけたりはしていないだろうかと立ち止まる。

 

そして自戒する。

私はアイドルを消費する人間であることを忘れるなと。

 

今現在、大好きな安田さんも怪我や病気を抱えてなおステージに立ってくれている。

2019年夏のツアーで見た安田さんは、ダンスもバンドも歌も、誰よりも全力で誰よりも熱かった。(少なくとも私にはそう見えた。)

何回かTwitterで書いたと思うけど、そのパフォーマンスはまるで命を燃やしているかのようだった。

その姿は、生き急いでいるようにも、すでに今生ではなく次生を見ているような達観さを感じることさえある。

 

そして安田さんの周りにも、「前向きなことが嬉しい」という横山さんや、「体調含めてや」という村上さんや、「リアルタイムにヤバイ時は言って欲しい」という丸山さんや、「やれることをやればいいよ」と言ってくれる大倉さんがいる。

 彼らもまた言葉だけでなく、当たり前のように安田さんの身体を気遣って、意思を尊重してくれる。

 

今、目の前で活動をしてくれているだけで奇跡のような時間なのに。

それなのに私は彼らに「歌を歌って欲しい」とか「バンドがみたい」とか「舞台が見たい」とか、いろんなことを望んでしまう。

 

アイドルを消費していることに気付いてなお、まだアイドルを消費しようとする。

 残酷で我が儘で欲深い人間だ。

 

 

でもだからといって、彼らの活動から与えられる喜びをスルーするのも違うのだろう。

 

そう、「愛を心配でスルーしないでね」と安田さんが言ってくれた言葉を免罪符のように噛みしめる。

 

どうあがいたってファンである以上、私はアイドルを消費する人間でしかないけれど、それでも願わくばこの先も好きなアイドルが自由に生きていてほしいと思う。

 

どこまでも我が儘な話だけど、その活動がどの未来に繋がっていたとしても、今、楽しみを与えてくれているのであれば、私はただ「今」を楽しんでいきたい。

 

本当はもっと自由に生きたいかもしれない。

本当は苦しみや葛藤があるのかもしれない。

私が応援することが、見たいと願うことが、苦しみに繋がってしまっていたらどうしようか。

時にそんな迷いを抱えながら、それでも安田さんも、剛さんも、大好きなんだ。

 

 

我が儘でごめんね。優しくなれなくてごめんね。

そう言いながら私はこの先もアイドルを消費していくのだろう。

 

 

なんて残酷で自分勝手な話だろうと思うけれど、それでもこう言いたい。

 

堂本剛さんも、安田章大さんも、私にとって最高のアイドルです。

だからどうか、この先も自由に楽しく生きていてほしいし、活動を見させていただけるならその範囲で今を全力で楽しんでいたいのです。