もしかしたら曇っていたかもしれない話~LIFE ISに触れて②~
!注意!
※これは①の時から言うべきだったけど、このブログはあの日の天気は晴れていたかしら?くらいの曖昧な記憶でお送りしています。妄想過多、個人の感想です。ご注意ください。
※私のブログは長い。まだ写真集に触れられていないです。
※脱退や怪我やリアルな死について私の体験という偏った見方で触れています。
※深く受け止めすぎず、気軽な気持ちで読んでください。
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①で書いたように、安田さんの病気の公表きっかけで関ジャニ∞さんに出戻ることになった私は、関ジャニ∞さんが7人の終わりを全力で駆けていくのを見た。
そして、凍結していたTwitterを開き、GR8ESTのレポを漁った。
7月15日の北海道から始まり、名古屋、大阪、東京、9月16日福岡、そして台湾公演と振替・追加公演まで。
正直、私はこの頃、「安田さんが」出たいと言ってGR8ESTに出たんだと思っていた。
安田さんはいつだって自分のことより人のことを優先していたように思えたから、周りは止めたかもしれないけど、自分の体調よりファンの安心を選んだんだと思った。
よく知らないくせに勝手に想像していた。
だから大倉さんの「お前を失いたくない」や「大切なのは親友の命」、「少しでも無理をしているように見えたら、スタッフの判断を待たずに自分の判断でステージから降ろす」と言う発言を聞いて、
出ると決めたら全力で無理をしてしまいそうな安田さんの傍にこの人がメンバーとしていてくれることはなんて心強いことなんだろうかと思った。
(この時だけではないけど、今でも関ジャニ∞さんが安田さんの傍にいてくれたあの日々のことをこの先もずっと感謝していきたい。正直どの立場で言ってるんだと思うけど、でもありがとうという気持ちは忘れたくない。)
名古屋と大阪が終わって、安田さんが東京公演で髪を切ったというレポを読んだ時は、安田さんの中で何かの区切りがついたのだろうかと思った。
その後の音楽特番で、安田さんがモヒカンになり、ピアスをバッチバチに開けた姿を見た時は、なるほど今はこんな気分なのね…とあまり深く考えずに受け止めていた。
少しだけ違和感を感じるようになったのは、その特番の次の日。
大阪での音楽特番の空き時間にピアスをあけに行って、公園を散歩したと書いていたボク。*1を読んだ時。
地面に寝転んでサングラス越しに空を見つめているお写真とともに、偶然出会った方々への感謝の気持ちを載せていた。
なんでかな。なにかあったわけでははないけど、安田さんの心になにかあったのかな?となんとなく心がざわざわした。
何度かブログでも書いているけど、私は物心ついた時からのジャニオタだ。
一概にジャニオタがそうであるとは限らないけれど、私はこれまでどちらかというと「可愛い男の子」が好きだったと思う。
だからモヒカンもお髭も拡張ピアスも、個人的な好みではない。(と思っていた。この時は。結局、安田さんがとても格好良いのでこれはこれで好き~!と気が付いたら安田さんが安田さんであれば好きだと思う身体になっていたので、安田さんは恐ろしい…)
でも、安田さんがそうしたいなら、まぁいいのではないかと思っていた。
私はあくまでただのファンなので、推しは自分がしたいように生きていってもらいたい。
そして推しがやりたい活動を見させてもらえることがなによりの僥倖だと思っているタイプのファンなので、
安田さんが好きなように生きているならそれでいいと思っていた。
ただ、サングラスについては、安田さんのやりたい活動の幅が狭くなってしまうことがあるのではないか?
それ以前に安田さんの身体はこの世界で生きていくのに本当に大丈夫なのだろか?と失礼ながらそんなことを思っていた。
(だいたい腰と背骨の骨折ってだいぶ大事では?お医者様の言う「完治」って「元の状態に戻ること」ではなくて「骨がくっついてこれ以上治療としてやることがないこと」では??日常生活を送るためにはまだまだリハビリが必要なのでは???そんなすぐに踊っていいものなの??と自分や身内の体験から勝手にモヤモヤしていた。)
私たちファンには早い内から強い光がダメだと教えてくれた安田さん。
安田さんの生きる世界に強い光が当たらない場所があるのだろうか。
舞台、コンサート、TVの収録や映画やドラマの撮影…
「照明さん」と呼ばれる職業の方が当たり前にいらっしゃる世界だ。
ライトがいつも煌々としているイメージがある。
アイドル、芸能界という仕事場で、強い光が当たらない瞬間はどれだけあるのだろうか。
強い光は、安田さんの身体にとって優しくない。
安田さんのいる世界は強い光が当たり続ける場所だ。
その事実と現状を想像して勝手に胸が苦しくなっていた。
手放せなくなったサングラス越しの目に、浮かんだ何かはなんだろうか。
あの頃の私は安田さんを応援しながら、そんなことを考えていた気がする。
何かに迷っている?何かを考えている?
その「何か」はなんだろう。
TVの向こうで笑っている安田さんはいつものようにふわふわしているのに、薄い皮の一枚向こうに、何かを抱えているように思えた。
だから見届けたいと思った。
安田さんはこの先、何を選ぶのだろう。何を表現するのだろう。
もしかしたら、この人の活動が見られなくなる日がくるのだろうか。
この先の未来に何を選択して、何を表現するのか。または表現しないのか。
今を生きているこの人から目を逸らしたくないなと思った。
この人がこの世界で何を表現するのか、それを見届けたいと思っていたのが2018年年末頃。
少し遡るけれど、①で書いたように、
出戻るきっかけは「人の倖せが自分の倖せ」と言っていた10年前の安田さんの変わらない生き方を会見きっかけで思い知ったからで、
その前、出戻る前の私は安田さんの作る曲がとにかく好きだった。
ただでさえdsire墜ちのやすば*2担だったので、kicyuや3兄弟を知って、安田さんの作曲能力の高さにずっとワクワクしていた。
ビックリ箱のように、毎回毎回「こうきたか!」と唸る曲を編み出す人。
プロローグオブパッチ*3でTOPOPを観た時は頭の先から電流が流れたみたいに感じた。
その当時、ファンブログというものをよく読ませていただいていた。
尊敬して大好きなブログ主さんの言葉で忘れられないものがある。
その方は関ジャニ∞さん箱押しの方で、特定のどなたかが好きというよりメンバー全員好き!という方だった。
ブログでは、シングル・アルバム全曲のパート割やハモりの分析や曲の感想を書かれていた。
私はそれをいつもワクワクしながら読んでいた。
アルバム『∞UPPERS』が発売された時もメンバーそれぞれのソロ曲をMVとともに全曲解説してくださっていた。
その中でその方が何気なく書いていた、
「安田さんはソロになればなるほど、曲や役を自由に表現する*4」
という言葉。
例えばdesire*5やkicyu*6のように「誰かの表現したいこと」を曲に落とし込んであんな名曲が2曲も生まれる。
わたし鏡・アイライロ・TOPOP*7のように安田さんがソロとして安田さんの表現したい曲を作ってもこんな名曲揃いになる。
安田さんは誰かの表現したいことを最高の曲として形にすることもできるし、
安田さんの表現したいことを曲として表現したら鳥肌が立つようなものができあがる。
もっとこの人の表現が観たい。この人の作る曲が聴きたい。
いつかこの人が表現する、この人が作るアルバムを聴いてみたい。
もちろん関ジャニ∞さんが大好きだったし、関ジャニ∞さんの曲もたくさん聴きたかったけど、それと同じくらいの気持ちでそんなことを思っていた。
関ジャニ∞さんのやりたいことが、安田さんのやりたいことが、その表現が観られるのを楽しみにしていた。
でもそれから先、安田さんは「関ジャニ∞にはない武器を」をいう言葉をよく口にするようになり、「自分の気持ちを曲にしたものは世に出すようなものじゃない」と言うようになっていた。
だから徐々に、安田さんのやりたいこと=関ジャニ∞さんとしてやりたいこと、なんだなと理解した。
関ジャニ∞さんが好きだったから、嬉しい反面、勝手に自分が抱えた「いつか安田さんが安田さんとして表現した曲を聴いてみたい」という気持ちは、
安田さんが望んでいないなら口にしてはいけないんだと思った。
だからそれ以降、ずっとその願いを封印していた。
誰かの言葉に縋って、願いを呪いに変えたくなかった。
安田さんがやりたいことをやるのが全て。
そのやりたいことの活動の範囲内で、好きになったり応援したりする。
それが私のスタンスだったけれど、 振り返ってみると、10年前も2018年も、私は安田さんが安田さんとして何を表現するのか?
そればっかりをずっと呪いのように追っていたのだと気付いた。
続きます。
またいつか気の向いたときに書きためていきます。
不快にさせたり、誰かを傷つけてしまったら本当にすみません。