青いものを応援しているだけのゆるい話

関ジャニ∞の安田章大さん、KinKiKidsの堂本剛さん、中日ドラゴンズと青いものを応援する人生。思いついたことを思いついたままにゆるく長文で語ります。※個人の感想です。

粉雪が溶けた後、見上げた先が青空だったらいいなと思った~LIFE ISに触れて④~

!注意!

 ※このブログはあの日の天気は晴れていたかしら?くらいの曖昧な記憶でお送りしています。妄想過多、個人の感想です。ご注意ください。

※①~③まで長々と書いてきて、ようやく発売日当日。私のブログは長いですが、これが最後です。

※脱退や怪我やリアルな死について私の体験という偏った見方で触れています。

※深く受け止めすぎず、気軽な気持ちで読んでください。

 

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安田さんが誰かへと真っ直ぐに伸ばしたその手は、私へ伸ばしたものではないと知りながら、私はあの日の父のことがわかるのではないかと、半分くらい邪な気持ちで写真集を受け取った。

TLの方々のように、綺麗で純粋な気持ちや、安田さんを思うあまり心配で愛に溢れた気持ちで受け取れなかったことはどこか後ろめたかったけれど。

それでも自分の欲には勝てなかった。

 

仕事前、朝一番にコンビニで受け取った私の『LIFE IS』は梱包の向こうにあった。

一瞬、仕事前にその梱包を開けてしまいたくなったけれど、中途半端に触れるのはやめて仕事についた。

 

帰宅して、ご飯を食べて、部屋に戻って。

そっと梱包を解いた。

 

今から触れるのは、「生と死の輪廻」。病気をきっかけに生きることと向き合った大好きな推しがやりたいと願った写真集。

どちらに転ぶのだろうか。

発売前に二人の出会いのきっかけとなった雑誌『an・an』で組まれた、安田さん、カメラマンの岡田*1さん、編集の中島*2さんの3人の対談でもらったはずの勇気は、前日のニュースのインタビュー映像で少し萎んでいた。

 

最初に触れたそれは、思いがけず柔らかかった。

新聞や雑誌やニュースの特集で何度も見た、降り積もる雪を見上げる安田さんに、この手で触れた感触。

 

その見上げる目線の先に、安田さんは何を見ていたのだろう。

ページを捲れば答えがわかるのだろうか。そっと、その輪郭を撫でた。

そこに凍てつくような寒さはなく、柔らかさがあった。

その柔らかさは私にとっては勇気だった。

 

 

最初に探したのはミニブック。

思ったより小さなその表紙に「2017.02.09」の文字。

私はその時、何をしていただろうか。その日は晴れていただろうか。曇っていただろうか。思い出せない自分の日付と、安田さんの中にくっきりと刻まれたその日付。

一日24時間一年365日。思い出せなくても等しく時間は流れて、2020年9月24日の私に届いた。

ざらついた荒い手触りに浮かぶ、くすんだ青色の世界。

 

何を思って写真を残したのだろう?と疑問が浮かんだけれど、「今しかない瞬間のものはアート」と言っていた安田さんだ。

この時はまだ自分のこの先のことを考えてのことではなかったのかもしれない。

MRI画像、手術前後の写真、手術の傷跡。病室で綴った言葉。

間に挟まれる岡田さんの写真は、安田さんが残せなかったその時の「今」を表しているのかもしれないし、そうではないのかもしれない。

そして2人が初めて出会った『an・an』*3で撮影した写真。

初めて観た時から忘れられなかった、その目の奥が知りたいと思っていた写真があった。

 

あぁ、これはイントロだ。

 

LIFE ISが形になるための、長い前夜。

この写真集の始まりは、病気ではなく、きっと安田さんが岡田さんと出会ったこと。

『I am』が安田さんの心に触れた時から、病気を経験して、誰かへ繋げようと至るまでの安田さんの経験値。

だけど切り離されているから、しんどい人はこれを見なくても触れられるようにしている、そんな中島さんからの、安田さんの未来への優しさだ。

初めまして、2017年2月の安田さん。

あなたが生きていたこの記録があるから、私はきっとこの写真集を手に取ることができました。

 

まとまらないいくつもの思いをそのままに、 イントロから本編へと進む。

 

最初の印象は安田さんの喜怒哀楽。

怒っているようにも、哀しんでいるようにも、気持ちを溶いたようにも、そのどれも違うようにも見える。

大きな瞳になみなみと浮かぶ涙。私の知っている言葉が果たして正しいのだろうか。

凍てつく氷に覆われた世界。

この氷の下に何があるんだろうか。

 

どこかへ向かう安田さんの背中。

朝焼けかな。氷の湖の安田さんは、太陽の光に何を見たんだろう。

白々と立つ樹木は、磔の十字架のようにも見えるし、ただ朝日と呼吸をしているようにも見える。

朽ちた木に寄りかかって見上げた先に、何を感じたのかな。

氷の湖に寝そべって何を思っただろう。

もしかしたら木の呼吸や氷の下の生の気配を感じていたのかもしれない。

 

一面の雪景色の中で歩いてく背中。こちらを振り向く顔にかかる毛先の緑。

この人は、この人生を諦めてしまったようにも見える背中。

 

白い雪に浮かぶ赤い文字の中で「RE ALIVE」がやけに目についた。

 

もしかしたらこの人は一度亡くなったのではないか。

この人生は終わって、次の生へ向かったのではないか。

そんな風に感じた次の写真が、雪の向こうに消えていくようにぼやけていた。

 

次のページは、真っ暗な中で阿修羅のように浮かび上がる安田さんがいた。

その安田さんの輪郭がぼやけたり、オレンジの光に産声を上げるようだったり。

なおさら魂の輪廻の中にいるのでは?と思ったりもした。

 

けれど安田さんはそこにいた。

暗闇の中の安田さんは夢だったように、雪の向こうに消えたように見えた安田さんが靄を纏って佇んでいた。

少しずつ、少しずつ遠ざかっていく安田さん。

一面の鈍くて暗い青。

私はその次からの3Pでこの写真集の輪郭を見た気がした。

 

コンクリートなんだろうか。

雪に生える枯れ草の奥、石の建物のようなものの上に立つ安田さんを引きで撮影した3枚。

白い靄が少しずつ安田さんを隠してしまう。

行かないで、と。思わず手を伸ばしそうになった。

けれど靄が晴れても安田さんはそこにいた。

 

あぁこれは、どこまでも「生きる」話だ。

この3枚の並びが少しでも違っていたら、それは「死」だったかもしれない。

けれどこの並びだったから、「生きていく」ことを表したかったのかもしれないと思った。

この人は、この人生を生きている。

 

ー生きていく、そんな話だ。

 

ただの直感と思い込みだけど。それまで少し酸素が薄かったように感じていたから、なんとなく息を吐いた。

 

そこからのページはまるで輪廻のよう。

最初、私はこの写真集で安田さんは何度か転生したのかもしれないと思っていた。

けれど今は、過去があって今があるということなのかもしれないとも思う。

戦争の過去、奪われる命から守るための防空壕、自然で朽ちて骨になること。

横たわってこちらを見つめているような白。

とりわけ雪深い森の奥で、熊の毛皮を纏って巣穴からこちらを見つめる安田さんは、安田さんという生き物ではなかった。

安田さんであり、安田さんではない動物。

命が奪われることに怯えたように見える顔。

生きること、死ぬこと。

人間も動物も、きっとたくさんの選択肢がある。たくさんの生がある。

 

海のようにも見える凍った湖に立つ安田さんは、神楽を舞っているかのよう。

間に挟まれる満天の星。

そして、炎の棺桶に横たわる安田さん。

それまでのページが輪廻だと思っていたから、これは生まれるという儀式なのかもしれないし、輪廻の中の幾生かの弔いかもしれない。

 

ユルリ島に放たれたという野生の白い馬は安田さんに唯一温もりを分けてくださっていて、この辺りで生の温もりに触れられたことで私もそっと息を吐けた。

まるで掌から体温が伝わってくるような、温かさ。

1頭だけでなく、何頭かで群れる馬は家族や仲間の温かさを伝えてくれたみたいだった。

 

赤く潰れた林檎と安田さんの掌。

アダムとイブが林檎を食べて楽園を追放されたことが知性の始まりだと聞いたことがある。

無垢が失われ、楽園を追われ、死すべき定めをおって生きるには厳しい環境の中へと送り込まれる。

苦悩の中で生と死の輪廻を体験した安田さんもまた林檎で目覚めたのだろうか。

それでもどこか晴れ晴れとした表情にも見えるのは私がそう思い込みたいだけなのかな。

 

時々、差し込まれる氷の海は、ページを捲るたびに溶けていった。

 

あれは永久凍土ではない。

どれほど硬く、厚く、呼吸を閉じ込めたように見えても。

時が経てばゆっくりと、ゆっくりと、海へと戻る。

 

まだ厚い氷の上で舞うように腕を上げ、コートを翻す安田さんは、安田章大さんのまま光を全身に浴びていた。

この世界は厳しくても、苦しくても、安田さんのままで、この生で最後まで生きていくのだと。

いつか朽ち果てても、どこかへ命は繋がる。

自分の命もそうやって繋がってきた。

過去から繋がって、今、生かされている。

だから今を精一杯生きるのだと。

 

 

いつか海へ還るその日まで。

 

 

 

 

ー結論から言えば、私はこの写真集に触れている間、父のことは思い出さなかった。

むしろ安田さんのことで胸がいっぱいになっていた。

当たり前だ。

これは安田さんが経験したこと。

その経験を私へ分けてくれたこと。

意識してもいなかっただろう死の手からすり抜けて、初めて死を意識したのかもしれない。

たとえ思うように身体が戻らなくても、生かされていると感じること。

だから安田さんはこれまで以上に全力で今この瞬間を生きていると感じた。

こういう自分で生きていくんだと強く発信しているように感じた。

私がただそう思いたいだけなのかもしれないけれど。

それでいい。写真集に触れた感想なんて1人1人みんな違っていい。

だから私はそう思い込む。

 

安田さんは生きている。

 

そして安田さんは安田章大さんだ。父ではない。

 だから写真集を通しても父のことなんてわかりはしない。

ただただ安田さんが生きていることがわかるだけだった。

 

けれどこの写真集の発売を通して、私が父のことと向き合えたのはとても大きな経験だった。

父が亡くなってから私はしばらく「父は弱い人だった」と思っていた。

弱いけど、苦しくても私たち家族のために頑張ってくれたんだと。

 これは当たっているようで正解ではないのかもしれない。

 父は自他共に認める弱い人だった。

でもやっぱり最後まで生きたかったから生きていた。

 

安田さんが安田さんを生きているように、父も父を生きていた。

そして私も私を生きていく。

 

岡田さんの仰る通り、いつか人生のふとした瞬間に死と向き合う日がくる。

運命なんて知らないけれど、どうして自分ばっかりと思うような出来事に出くわすかもしれない。

生きるか死ぬかはタイミングのような気もする。

もしかしたらエアーポケットのように、そのタイミングが合わずに、途切れてしまう瞬間がくるのかもしれない。

 だからこそ、今の一瞬を全力で生きていく。

 

あまりに多くのことを感じ取ることのできる安田さんだ。

その感受性から発信するメッセージはあまりにも純粋で真っ直ぐだから、私は時々その眩しさから目を逸らしたくなる。

それもで安田さんが安田さんであることから目を離せない。

 

写真集を受け取って、私の明日からの何かが変わることは、たぶんない。

相変わらずダラダラしながら生きていくだろうし、悩んだり悩まなかったりして日々を過ごして行くような気がする。

明日の天気は晴れてるかな?今日は寒かったからどんどん冬になっていくなぁとそんなことを思いながら気が付いたらまた月日が経っているのかも。

 

そしていつかどこかで生に直面したとき。

安田さんが渡してくれたこの写真集が私の心を支えるのかも知れない。

 

あまりにも多くのことを考えすぎてしまったから、今はまだそんなありきたりな言葉でしか締めくくれないけれど。

 

 

私の人生で、このタイミングで、安田章大さんに出会えて良かった。

生きていてくれてありがとう。伝えてくれてありがとう。

あなたが見つめたその先の空が、いつの日も晴れていることは難しいのかも知れないけれど。

晴れでも雨でも雪でもあなたはきっと人生を楽しむのでしょうね。

 

そんなあなたを応援できることが、とても幸せです。

だから誰かの幸せを願うあなたの幸せも、どうか片隅で願わせてください。

微力ですが、どうか少しでもあなたの幸せへリンクしますように。

 

 

2020年10月20日。願いを込めて。

 

*1:写真家の岡田敦さん

*2:アートディレクション中島英樹さん

*3:2019年5月22日発売。「色気の哲学書」vol.10「色気は、もがく感情に宿る」