君のレモンとレモネード
※このブログの全文は個人の1,000兆%の妄想と曲解と偏見でできています。
※これは徒然なるままに、人生の隙間時間で硯も研がずに、心にうつりゆく安田章大さんのことを、そこはかとなく書きつくったらやっぱり狂ったような気持ちで出来上がった、波打ち際のガラスの破片のようなものです。
※オチや主題のある話ではありません。言いたいことも言えないこんな世の中というかそもそも言いたいことってなんだっけ?っていう感じなので読了後の後味に責任は持ちません。
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When Life gives you lemons,make lemonade.
~人生があなたに酸っぱいレモンを与えるなら、甘いレモネードを作りなさい
=苦難の中にあろうとも発想を変えて前向きに生きろ~
2020年9月24日、安田章大さんの写真集『LIFE IS』を受け取った。
その前後、『LIFE IS』が 発売されることで出演されたTV番組、ニュース、配信イベントを観た。ラジオを聴いた。
2021年1月25日から1週間、全国紙で特集された新聞記事「患者を生きる」を読んだ。
そして、3月20日NHK BS1『ザ・ヒューマン』で安田章大さんが特集された。なんとなく、これが『LIFE IS』のいったんの終着駅かと思った。そう思って、番組を観ていた。
私が安田さんを好きになったのはたぶん2009年頃。それから一度オタクを辞めて、出戻ったのが2018年7月。
彼らは大切な1人のメンバーの脱退という現実の中でがむしゃらに、無理矢理に、走り続けている大きな列車の上で歯を食いしばっていたように見えた。
私はずっと彼らを近い距離で追っていたわけではない。だからこれは単なる戯れ言だけど、脱退した渋谷さんは、関ジャニ∞の北極星のような人だと思っていた。
彼らの指針。行く先を決めるコンパスの先にいる人。
だから彼と袂を分かつというニュースに触れた時、私は勝手にコンパスを亡くしたような気持ちになって、部屋にあった関ジャニ∞さんの円盤とかグッズとか、そういったものを一度捨てた。自分の好きだったものの形がひとつ終わった気がしたから。
でもそれから3ヶ月後、安田さんの病気の告白というニュースが目に飛び込んできた。
彼は北極星(かどうか知らんけど)を失って、病気と怪我を負って、それでも「渋谷を失って不安定になっているファンのために、ライブに出る」ことを決めたのだと。
「人の倖せが自分の倖せ」
私のようなファンでも耳に残るほど、格言のように、呪文のように、言い聞かせるように。好きになった当時の安田さんは繰り返しこの言葉を使っていた。
彼から離れて数年後、触れたあのニュースの中に変わらない安田さんの生き方を感じた。
この人は、命の危機に瀕しても、芸能活動を脅かすような体験の最中でも、誰かのために生きようとしている。*1
たまらない気持ちになった。その衝動のままファンクラブの会費を振り込んでいた。
この人の人生を、これから選ぶ先を、傍で応援してみたい。
思えばそれが、安田さんを再び追い始めた理由だった。
6人になった関ジャニ∞さんはとても強かった。これまでのバランスを敏感に補い合うようにお互いへの神経を張り巡らしながら関ジャニ∞という巨大な列車は変わらずそこにあった。
7人には7人でしかない魅力があるように、6人には6人でしかない魅力が存分にあった。
それと同時に2019年はとても不安定だった。度重なる報道に心を抉られて、知り合いからの「関ジャニどうなるの?」「錦戸さん、辞めるの?」「大倉くんは大丈夫?」「安田くんはどうしたの?」という質問に辟易として、楽しそうにバラエティをする姿や安心できそうな言葉を拾い出しては大丈夫だと言い聞かせて。
「先のことはわからないから、今、関ジャニ∞さんに与えてくれるものだけを見よう」と心にはびこる不安には見てみない振りをしていた2019年。
その時、私の頭の片隅には、もしかしたら安田さんは芸能界を辞めるかもしれないという予想があった。*2
脳の腫瘍、12時間にも及ぶ手術。腰と背骨の骨折。サングラスという後遺症を抱えてスポットライトに煌々と照らされる表舞台に立ち続けることは、果たして安田さんにとって優しい世界なのだろうか?
そんなことを考えるたび、彼が、彼らが結論を出したら、それを受け止めるしかないと思うしかなかった。
その一方でそれが現実になった時、私はそれに耐えうるのだろうか?とも。
そして迎えた2019年9月。錦戸さんの「大切なお知らせ」が届いた時の、また失うという悲しみ。
久しぶりに泣いて、落ち込んで、苦しくて仕方なかった。
こんなことなら出戻らなきゃ良かったとも思った。
悲しみと同時にそれでも6人でがむしゃらに手を引っ張ってくれたことも忘れたくなかったし、5人でも続けると言ってくれた関ジャニ∞さんから目を逸らしたくないと思えたのは、間を置かずに発売されたシングルだった。
なぁ友よ、 人生って最高だろう?だからやめられないんだろう
(2019年11月27日発売・関ジャニ∞『友よ』INFINITY RECORDSより)
MVの映像は、表情のわからないシルエットの安田さんから始まっていた。俯いてその手を見つめた後、大きく息を吸い込んで、力強くここを歌いきる。
その声は、その歌は、5人の関ジャニ∞さんをまだまだ観ていたいという私の指針になった。
ファンが思うよりずっとシビアな現実の中、恐らく前向きでなかったこともあったと思われる安田さんの身体の事情も含めて、「倒れる時は前に」と5人で「もう一度」コンパスを設定して、5人でマストを張った。
私の予想は外れて、安田さんはまだアイドルを続けてくれるらしい。
その傍に、こんなに温かいメンバーがいてくれる。
一人になるよりずっといい。
もしかしたら引退して安田さんを苛む強い光を浴び続ける世界から離れた方が、彼の身体と命には優しいことかもしれないけれど。
安田さんが、いや安田さんだけじゃなくてきっと関ジャニ∞さん一人ひとりが、悩んで迷って傷ついたり傷つけたりしながら舵を切ったその先に、一緒に帆を立てて進んでくれる人たちがいる。
一人よりずっといい、と、残酷にもそんなことを思った。
そしてそんな(彼らほどではないにしろ)私にとっては怒濤の日々を過ごした後。安田さんから差し出されたのが、『LIFE IS』だった。
NHK『ザ・ヒューマン』は、この写真集の舞台とした北の冷たい大地で、白い馬の背中に耳を寄せる安田さんから始まった。
5人になって始めた2度目の47都道府県ツアーがコロナ禍での中止となったこと。
30代になったからこそ歌という技術でも届けたいと始めたボイトレの様子。
関西ジャニーズの初の配信イベントでの先輩としての明確な自覚。
安田さんの少年時代。
初めてもらったファンレターで「好きになってもらえたから、その人の期待を裏切りたくなかった」という気持ちになったこと。
大阪時代、強くなれる気がして原付で東京まで行った話。
2度目の椎間板ヘルニアの手術の話。
ライブツアー中に感じていたという違和感。髄膜腫の発覚。お母さんが記した手書きのメモ。*3
大倉さんからの「ただ生きてくれ」という真摯で切実な言葉と、それを思い出す安田くんの涙。
ナレーターさんの声に時折安田さんとディレクターさんの言葉が入り、丁寧に、丁寧に映像が流れていく。
知らない話や知っている話、ともに観てきた景色、観たことがない景色。
時々喉の奥がぐっと苦しくなる事実の羅列も、映像として、音として、動いている安田さんの姿から、声から伝えられるそれらは、文字や写真で触れるのとまた違って、私は幾分柔らかく受け取れていた。
そして『LIFE IS』の話。別冊には、術後の姿も、傷跡も、まざまざと曝け出されていること。そんな写真集を発売したこと。
私には、安田さんの写真集を撮影してくれた写真家の岡田敦さんと安田さんの出会いとなった雑誌の対談の中に強く印象に残っていた言葉がある。
岡田さんは、批判をくらった時、心が折れたりとかなかったですか?(安田章大)
『色気の哲学書 with関ジャニ∞ 』Vol.9「色気はいつか消えるものに感じる」(2019年5月8発売 『an・an』マガジンハウスより)
安田さんが岡田さんを知ったきっかけとなった作品『I am』を発表した際に岡田さんが受けたという誹謗中傷。二人の対談の中で、安田さんが投げかけたのが「批判を受けたとき」について問うたものだった。
岡田さんは、毎回傷つくことを認めながら「批判的な意見でもそれだけ反応されるエネルギーを相手に与えるような作品を作れたってことは、僕の中で誇りでもあるんです」と答えていた。
話は戻り、番組の中で安田さんは『LIFE IS』にいただいた反応のひとつとして、お父さんと弟さんを亡くした方のお話をしていた。TVのカメラではなく、岡田さんへ向けて。
その言葉の続きは、こうだった。
「出すことによって、岡田さんも言っていたけど全員が全員賛同するわけじゃないし、いろんなことを思う人たちがたくさんいるから。でもそれだけ反応があったってことなんやなって思って。しみるような感覚でしたね」
あぁ届いていた、と。感じた瞬間だった。
それは安田さんが届けたいと思っていただろう人へ、安田さんのメッセージが届いていたことが安田さんにも届いていたこと。
そしてあの対談で岡田さんにもらった言葉を、安田さん自身が実践してみた結果も、実感となって安田さんに届いていたこと。
「出すこと」の主語は、写真集なのか、病気の詳細なのか、安田章大さんという一人の人間のことか…
どれかなのか全部なのかわからないけど、少なくとも『LIFE IS』を出したことで反応があって、きっと今になっている。
これが安田さんがやりたいことに一歩を踏み出して、歩みを止めなかった結果なんだ。
『LIFE IS』でそれを知った安田さんは、番組の最後にもうひとつ曝け出してくれた。「偽善者」について。
「人の倖せは自分の倖せ」に対する何気ない、でも10年くらい前の安田さんの心のたぶんいちばん柔らかい場所に爪を立てた言葉。
最初に歌を届けた時には語られなかった言葉。最後のビデオメッセージで、インタビューで、曝け出した、安田さんの心のしこり。
思うことはいろいろあるけれど…
「なにが恐かったんだろう?」
安田さんが振り返った。声には悲観や傍観のような響きはなくて、ただそうだったことを振り返るような、そんな音に聞こえた。
さて、ここまで本当にとりとめなくダラダラと綴ってきて実感することは、安田くんの人生には思いも寄らない酸っぱいレモンがたくさんあったんだな、と。
視聴後しばらくまとまらない思考を無理矢理言葉にしようとしていた時、ふと冒頭に綴った英語の諺が思い浮かんだ。
When Life gives you lemons,make lemonade.
~人生があなたに酸っぱいレモンを与えるなら、甘いレモネードを作りなさい
=苦難の中にあろうとも発想を変えて前向きに生きろ~
人生は時に、酸っぱいレモン(良くないもの)を差し出す時があって。でもそんな時も考え方次第で、それは甘いレモネードに変えてしまうことができる。
安田さんに起こったたくさんのことは平凡に生きている私には想像もつかないことだけど、でも目線を変えればそれは特別なことではないのかなとも思う。
きっと誰の人生にも多かれ少なかれ、レモンは唐突に、理不尽に、平等に、投げつけられることがあるのかな。
それに習えば、安田さんの『LIFE IS』はもしかしたらレモネードのひとつかもしれない。
これまで安田さんが飲み込んだ、酸っぱかったり苦かったりしたレモン。
安田さんが安田さんに差し出されたその酸っぱいレモンは、これまでだったらアイドルという環境の裏側にそっとしまい込んで、甘いレモネードだけを差し出してくれていたかもしれない。
私はそのレモネードだけ飲んで、美味しい美味しいとただ幸せな気分を味わえていた。
きっとそれも間違いじゃ無い。
でも『LIFE IS』はレモネードみたいに甘くない。
甘くて美味しいとただ飲み干すには、苦くて酸っぱいレモンの形が強い気がする。
私には、そう思える。
なぜか。
それはもしかしたら、安田さんがレモンそのものも隠していないからなのかもしれない。
レモンを見せて、苦みと酸っぱさを目の前にして、甘いレモネードを差し出してくる。
安田さんは曝け出すことで、それを万人へ喉越しを良くせずに、どこかにいる誰かの真髄まで食い込ませていきたいと思ったのだろうか。*4
それはけしてこれまでのレモネードを否定しているわけでなく、そうでないと届かないものを届けたいと思ったのだろう(かもしれない)から。
でも安田さんは、レモネードにすることの良さも知っている。
ついでに言えば、それをレモンパイにしてみたり、唐揚げに添えて絞っても絞らなくてもいいようにしてくれたり、時にレモンのままだったり、甘いレモネード以外にも受け取る人によっていろんな形を選択できるように、いろんな形に変えて目の前に並べていてくれる。
レモネードでも、レモンパイでも、添え物でも、レモンでも。
どれも否定していない。
そういうことを伝えようとしてくれているようにも感じる。
それを目にとめたタイミングでは気づかなかったり、そもそもレモネードが苦手だったり、そんな声も届いたりしている。もしくはそういった声を受け取ってほしくないという声も届いている。
自分が傷つくことと、自分を大切にしている人が傷つくかもしれないこと。
それに迷いながら、葛藤しながら。
そんな反応全て、差し出してみなければ得られないことだと、安田さんはもう知っているのだろうな。
だから今、私の前には、『LIFE IS』がある。
エンターテイメントって生きる活力を届けられるのが一番でかい。
俯いている顔を少しでも上に、せめて真っ直ぐにでも向かせてあげられたらな。 (安田章大)
SURVIVEー生き残る、生き延びる、助かる
REGRETー後悔、悔恨、悲嘆
HOPEー希望
『ザ・ヒューマン』の番組の冒頭、これから映し出される安田さんの静止画とともに3つの言葉が踊っていた。
学生時代、「HOPE」と「WISH」の違いについて英語の先生が話していた。
「HOPE」は実現できる可能性がある願望、「WISH」は可能性の低い願望。
安田さんはふいに差し出されたレモンにきっとたくさん悩んで戸惑って開き直ったり苦しんだりしながら生き延びた先で、立ち尽くして。
自分と向き合った先で過去の後悔を思い出して、そして選んだのは、たぶん生きる誰かに希望を差し出すこと。
安田さんは安田章大を表現する一つとして、この舞台を選んでいる。
これは確かにHOPEである。
HOPEであってほしい。今の安田さんの努力が、命が、想いが、『LIFE IS』が時間を超えてもまた誰かに伝わりますように。
そんな安田さんの消えない息吹が、この先も不特定多数の多くではなくて、どこかにいる誰かの人生のレモネードになりますように。
そんなことを思ってまとまらないまま、私の『LIFE IS』もいったん完とします。何を完としたのか自分でもわからないけど、私は今日も安田章大さんが生きていることを地球に感謝したいと思いましたまる