シャツにアイロンをかけた話
明日着るシャツにアイロンをかけた。
皺を伸ばしながら、ついでにと仕事着の何着かにも手を伸ばして、そこでふと思った。
アイロンかけるのって久しぶりだな、と。
冬の間はセーターが多かったし、まだ肌寒い4月はパーカーやスウェットを着ていた。
中に着るシャツならアイロンかけなくてもいっかっていつも面倒くさがっていたから、きっとこれも春が来たということなのかもしれない。
でもそれだけなんだろうか。
久しぶりに行ったマッサージ店で「息を吸ってください~、はい、吐いてください~」と言われ、言われるままに呼吸をしたら、スタッフさんに「最近、寝られていますか?」と聞かれた。
なんでですか?と逆に聞いたら、お店のスタッフさん曰く「呼吸が浅いです」と。
そう言われて思い至った。
このところずっと眠りが浅くて、寝ていても頭のどこかがいつも起きてるみたいだったこと。寝付きが悪くて夜寝るのがどんどん遅くなっていたこと。
でも、それがいつしか当たり前になってたこと。
人に言われて気付いた。それは当たり前ではないこと。
先日、私の推しグループである関ジャニ∞の一人、大倉忠義さんが休養を発表した。
それを受けて、安田章大さんが「優れる時は皆で前進、優れない時は皆で様子見、を当たり前の行動と共通認識できたらな」とファンにメッセージをくれた。
「優れない時は様子見」
図らずも私の推し達は、その活動の中で病気やそれに伴う怪我や、多忙によるストレスで身体や心と向き合う時間を持ったことがある人たちだ。
その上で、「休めなかった」人たちだ。
堂本剛さんは、突発性難聴になった時、スペシャルドラマの撮影スケジュールが詰まっていて不調を訴えてもすぐには病院に行けなかった。結果、彼の聴力は戻らなかった。
安田章大さんが病気の後遺症から骨折をした時、当初は彼自身が不完全な姿を見せたくないと泣いて訴えた全国ツアーに、いろいろなケアや調整を踏まえた上で最終的には「出る」という決断になった。
だからこそ、今の大倉さんがどこまでの状態かはわからないけれど。
休養できる環境であることにホッとした。
場違いかもしれないけど、安心した。
休めること、様子見ができること、それはまだまだ当たり前ではないから。
「休養」のボーダーラインなんて人それぞれで。
身体の強さや丈夫さが人それぞれのように、心の強さや快復力の高さなんてさらに人それぞれなんだと思う。
誰かにとってはなんてことないことも、別の誰かにとっては大事だったり。
私はあなたじゃなく、あなたは私じゃない。
だから、あなたが調子が悪いなら、または第三者から見て調子が良くないなら、「休む」ことが当たり前になってほしい。
そんな環境に、今、推し達がいられること、不謹慎かもしれないけど安心したんだ。
そこでまた考える。
「休む」ってどういうことだろう。
なんとなく、この「休む」には睡眠をとるみたいな身体を回復させること以外に「離れる」「距離を置く」という意味が含まれているんじゃないか。
では、距離を置いた先に何があるのか?
それはきっと「時間」だと思う。
たとえば、アイロンをかける時間。
深呼吸をする時間。
日常の中でそんな気にもかけていない「ほんの一息」が持てること。
きっとそういう「ほんの一息」をとれる、そんな時間が誰にとっても必要で。
その「ほんの一息」をとるために、不器用な私たちは物理的に「休む=離れる」ことが必要なんじゃないか。
そんなことを思う。
私は単なるファンの一人なので、偉そうに何かをいう権利はない。
さらに恐いことに、もしかしたらこんな推測をここに連ねることが、彼や彼を大切に思う人、また彼のことをいちばんに想っているファンの方々を不快にさせるかもしれない。
それでもひっそりと願う。
どうか大倉さんにも「ほんの一息」がありますように。
翻って私も、もしもまた「まだ大丈夫」「これくらいならなんとかなる」なんてことを思ったとき、今度はほんの一時立ち止まってみたい。
今の私、アイロンをかける時間がある?
面倒くさがらずに「アイロンかけよう」って思えたなら明日も仕事してよし。
でも「アイロンかけなきゃいけない」とか「アイロンかけるの面倒だから、明日はシャツにしよう」って思ったら。
安田章大さんの言葉を思い出そう。それは私の心の栄養剤になる。
連休明け、まずは深呼吸から始めよう。