青いものを応援しているだけのゆるい話

関ジャニ∞の安田章大さん、KinKiKidsの堂本剛さん、中日ドラゴンズと青いものを応援する人生。思いついたことを思いついたままにゆるく長文で語ります。※個人の感想です。

あの日もたぶん天気は晴れだった話~LIFE ISに触れて①~

!注意!

※①で5670字。

※こんなに長いのにまだ写真集触れられていないという絶望。続きはゆっくり書いていく予定です。

※脱退や怪我やリアルな死について私の体験という偏った見方で触れています。

※深く受け止めすぎず、気軽な気持ちで読んでください。

 

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突然でもないけれど、私は関ジャニ∞安田章大さんが好きだ。

自分では神格化しているつもりも、偶像崇拝しているつもりも、消費しているつもりもないけれど(でももしかしたらどの要素も存分にあるかもしれないけれど)、

安田さんが安田さんらしく(と私には見える)生きているのを見ると、素直にとても嬉しくなる。

なので、Twitterではついつい「今日も安田さんが生きている!地球ありがとう!」と宗教みたいに安田さんに滾ってしまう。

 

そんな私にとって生きていることを讃頌してしまう安田さんが、先日、写真集『LIFE IS』を発売した。

 

最初にこのニュースに触れたのは、お盆中にやることがなかったので部屋の大掃除と模様替えをしたら筋肉痛になっていた朝だった。

…かもしれないし、昼に近かったかもしれない。

鳥頭なので時間も天気もよく覚えていないけれど、たぶんいつものようにベッドでゴロゴロしながらTwitterを開いたら、TLがこの話題でざわざわしていた。

「写真集…?」と面食らったけれど、表紙の横顔とその髪や眉毛に積もる雪が綺麗で、とりあえず安田さんの顔面力に感謝を捧げた。

ひとしきり顔面力を拝ませていただいた後でようやく脳が活字を理解し始めると、「闘病写真集」とか「脳のMRIの画像公開」と言う切り取り方に複雑な想いを抱いた。

 

安田さん自らが企画、交渉したこと。

手術や怪我をしたことから感じたこと、経験したことを伝えたいと思ったこと。

テーマは「生と死と輪廻」。

安田さんの「ボクに触れてみて」という言葉。

これらを並べて世間へお伝えしようとすると、「アイドルの闘病写真集」となるらしい。

 

なるほど…。相変わらず安田さんの生きている世界は厳しいなぁと勝手にその環境を想像して複雑な気持ちになった。

 

けれど自分で安田さんの言葉や経緯を読んで、

「病気をきっかけに、生と死と人生に向き合った経験を写真集という形にした。もしも苦しんでいる方がいたら、自分の経験を分け合うことで、見えないけれど苦しみを抱える誰かに手が届くのかもしれない。」

という気持ちなのかなと、わりとすんなりと落とし込めた。

 

安田さんは伝えたいことがある。

表現したいものがある。

その手段が写真集という形になった。

 

そしてその写真集を手に取ってもらうためには、こういうセンセーショナルでエモーショナルな切り取り方の方がきっと世間に伝わる世界なんだなと。

複雑だけど、多くの方の目に触れれば、その分、安田さんが届けたいと思っている誰かに届く可能性が高まるのかも。

そうやって切り替えて、安田さんの想いが届く方が、どうかこのニュースの先に、写真集発売の先に、1人でも2人でもいますようにと願った。

そう願うことで、自分の苦手な切り取り方やその先の「真意が伝わらないかもしれない人たちや出来事」からは目をつむることにした。

 

たぶん、安田さんはそんなこと百も承知なんだろうな、と思っていたから。

 

自身の身ひとつが武器の世界で、いろんな評価を受けてきた人だろうから。

この写真集を発売することで、どんな風に切り取られるのか、どんな風に思う方々がいるのか。

アイドルという職業が夢を与える職業であるなら、「裏側を見せないこと」がプロであるという考え方もある。

裏側が見えないから「夢を見ていられる」ファンもいる。

私が想像するよりもっと身をもっていろんなことを体験して、理解している人だと思う。

 

その上で、「写真集に触れてみて」と言っていただけるのなら、思いっきり触れさせていただきたいです!という気持ちだった。

 

 

そしてなにより、安田さんが自ら「やりたい」と思った表現が形になるのが嬉しい。

やりたいことがあって、仕掛けて、行動して、実現した。

すべては安田さんの意思だ。

それが実現したことがなにより嬉しいと思った。

 

 

なので、後にTLに流れるいろいろな心配や各々の事情からくる複雑な心境とはまた違った気持ちでこの写真集の第一報に触れた。

 

複雑だと感じた気持ちを分解して飲み込んだら、後に残ったのは単純に楽しみだなという気持ちだけだった。

 

そういうわけでフォロワーさんのように8月14日の出来事をしっかりと覚えていないけれど、

その後の8月18日の安田さんのブログ『ボク。』で写真集のお話を読んだ時、「あぁ、こういうことか」と自分の気持ちがパズルのピースのように嵌まったのを感じた。

 

嵌まったピースは、私はどうしてあの時、安田さんの出戻りファンになったのかということ。

今、どうしてこんなに安田さんに惹かれるのかということ。

 

 

以前のブログで関ジャニ∞さんのファンになったきっかけを書いた。

と言っても、やすばを供養するために書いたのですでに記事は下げている。

簡単に言うと、初恋の人・堂本剛さんが関ジャニ∞さんをいたくお気に召していることと、バラエティで見るヨコヒナがあまりにも面白かったので、関ジャニ∞さんのバラエティや歌番組のトークを見まくっていたら、やすばを知ってしまってシンメオタクの血が騒ぎ、気がついたら沼に浸かってました、という感じ。

 

そしてこれも以前にも書いたけれど、剛さんはパニック障害を抱えていて、人前に出ることで何度も過呼吸の発作を繰り返していた。

後に「死にたい、死ねない、また死ねなくて朝が来た…という気持ちで眠れない日々だった」とか「デビューから数年の記憶がない」と語っている。

そんな状態だったので、TV番組に出ると、人からの視線から逃れるように前髪を下ろしていたり、俯いている日もあった。

ライブ中も笑えない日や相づちが精一杯で早めに袖に引っ込んでしまうこともあった。

だから、TVやライブでその姿を見る前に「今日は元気かな?体調が悪くないかな?」と心配するのが当たり前だった。

 

そんな日々が数年間続いていたので、安田さんを好きになった時にまず「あ、この人は心配しなくていい人なのか…」と思ったことを覚えている。(どちらに対しても私が勝手に思っていたことだけど)

 

12年前の安田さんは、「人の倖せは自分の倖せ」と事あるごとに言っていた。

 

そしてその言葉通り、優しくて、自分より人のことをばっかり気にしている。

バラエティでうまくいかなくても、メンバーに強めに弄られても、TV番組でも、ライブでも、いつでもニコニコ笑っている。

元気だった。

 

そう見えた。

白状すると、安田さんの「人の倖せは自分の倖せ」を初めて知った時は、よくあるアイドル的なやつかなぁとか捻くれたことを考えて、言葉半分に流していた。

 

けれど、安田さんを追っていくと、いろんなところでその言葉を目にした。

 

そしてメンバーから聞く安田さんのエピソードはその言葉を体現していることが多かった。

いろんなエピソードがあったけど、あの当時(※察してください)のNEWSのライブに錦戸さんに内緒で安田さんが観に行って、客席でその姿を見かけた錦戸さんが嬉しかったと言ったことや、

バンド練習の時にみんなが帰った後も、村上さんのキーボードの練習に最後まで付き合って残ってくれたと村上さんが言っていたこと。

(ちなみにその後で「お礼に食事奢るわ」と言ったら「そんなんいいから早よ弾け」と断られたところまでセットでこのヒナヤスエピソードが好きです。というかご飯行かない期の安田さんのお断りバリエーションと村上さんのめげなささがよくわからないけどツボ)

錦戸さんが風邪を引いたことに、何も言っていないのに安田さんだけが気付いてくれたとか、横山さんだったかな?体調が悪いことを察して後でメールをくれた、と言っていたのは…。

ロケで一緒になっただけのお笑い芸人さんが雑談でお子様の話をしたら、「さっき買い物に行っていたからお子様へ服を買ってくればよかった」本気で残念そうに話してくれたとか。

人への優しさだけでなく、楽屋に迷い込んだカナブンをわざわざ花壇へ逃がしてあげたり(以前にカナブンを窓から逃がしたら飛ばずに地面に落ちたのを見て「飛びたくないカナブンもおるんやな」と気づき、それから窓から投げるのではなく、花壇まで逃がしてあげるようにしているらしいというすばるくんによって語られたこのエピソードも大好き)、

ライブ中に錦戸さんが蚊を叩いて殺したら、「殺さなくても逃がしてあげれば良かったのに」と安田さんが注意していたというライブレポを読んだ時は、この人は本当に命を大切にしているんだろうなと心の底から衝撃を受けた。

 

そんなことがごく自然と、本人からではなく周りにいる方々から次々と語られるので、ひねくれ者の私でもこれは安田さんの本当の気持ちなんだろうな…と、自然に受け取れるようになっていた。

 

だから安田さんを最初に好きだったあの頃の 私にとって、「安田章大さん=人の倖せが自分の倖せ」という図式は当たり前のこととしてそこにあった。

それからいろいろあって、主に仕事が楽しすぎたり、父親が病気になったり、自分が病気になったりして、何かきっかけがあるわけではなかったけれど、関ジャニズム辺りから徐々に安田さんから離れてしまった。

 

そして、2018年4月。

 

関ジャニ∞さんから離れてしまっていた私にとっても衝撃を受けた渋谷さんの脱退のニュース。

今の関ジャニ∞さんを知らないくせに、今さらすばるさんが脱退するなんて信じられなかった。 

 でも会見を見て、現実だと知った。

安田さんが自宅で転倒して背中に打撲を負って療養中ということは、頭の片隅で気にかかったけれど、それよりすばるさんがいなくなることが悲しくて。

今は関ジャニ∞さんに熱中しているわけでもないのに、あるのが当たり前だと思っていたものの形が変わってしまうことが耐えられなくて。

なんとなく自室に残したままだった関ジャニ∞さんの円盤やらグッズやらをどうしても残したいもの以外は一度すべて処分した。

 

ー今、思えば。

当時、父親が亡くなってから2年。

一周忌だって終わっていたのに、どこかでまだ長い旅行に出ているだけでいつか帰ってくるんじゃないかとか頭の片隅で考えていた。

病室で父親の息が止まった瞬間も見て、遺体に触れて、遺骨も拾って。やったのは挨拶くらいだったけど喪主になって。

ぜんぶ五感で感じていたのに、どこかでまだ現実感がなくて。

でも、たとえば母親と旅行に行こうかと話したとき、あぁもう父親との思い出はこれ以上増えないんだなと思った。

母親は元気そうに見えたけど、不意に父の話が出ると泣いていた。

たぶん現実を受け入れられる日とそうじゃない日を繰り返していたんじゃないかと思う。

そんな日々が日常だったから、あの時、私の心は「好きなものの形が変わること」を受け入れられる余裕がなかった。

関ジャニ∞さんにとって私は何の関係もない人だから、これは勝手なこちらの都合だったけど。)

 

だからこれ以上「当たり前だと思っていたものの形が変わる姿」を見たくなくて、関ジャニ∞さんを視界からシャットアウトしようとした。

 

そんな感じだったと思う。

もうこの先、関ジャニ∞さんには触れないだろうなと思った。

 大好きを大好きなまま自分の箱の片隅に閉じ込めてしまおうとしていた。

 

 

2018年7月2日。

 

ニュースで安田章大さんの病気と怪我のことを知った。

そのときはファンクラブには入っていなかったから、新聞記事の中のコメントで「渋谷が抜けて不安定な時だからファンの方に安心してもらえるように顔を見せに行きたい、安心を届けたいと思ってライブに出ることを決めました」と言っていることを知った。

 

 

そのコメントを知って、すぐに頭をよぎったのは「人の倖せは自分の倖せ」だった。

 

 

手術をしてもステージに笑顔で立ち続ける。

大怪我をしていても、ファンに安心してもらうために6人全員でステージに立つ選択をする。

それは大切な誰かに安心を届けたいから。

 

あぁ、この人は何も変わらない。何も変わってなんていない。

 

 

安田さんは言葉として「人の倖せが自分の倖せ」と発していたわけではない。

ずっとそれは信念だった。

私が勝手に想像していた以上に、安田さんの芯は太く強くしなやかだったんだだろう。

形が変わっても、変わらないものがある。

この人の生き様を、生きていく先に表現するものを、もっと近くで応援していきたい。

 

溜まらなくなってジャニーズWEBに登録して、レンジャーとボク。を読んだ。

そこに大倉さんと錦戸さんの言葉があった。

GR8ESTは間に合わないけど、そのままファンクラブに入った。

安田さんがファンに向けて報告してくれている会員向けの動画をきちんと観たかった。

努めていつも通りを保っていようとしてくれている村上さんや、

感情が溢れすぎていてむしろ無表情にも見える大倉さんや、

まとまらないマーブル模様の気持ちがそのまま顔に浮かんでいる丸山さんや

なにかを決断したような厳しい顔で前を向く錦戸さんや、

無でも有でもなく、迷っているのか決断したのか決めきれない複雑な感情が溢れている横山さんがいた。

 

安田さんのそばに、安田さんを心配してその上で尊重して、でもやっぱり心配して、一緒に覚悟を決めてくれている関ジャニ∞がいた。

 

それはあまりにも私の好きだったままの関ジャニ∞さんだった。

当たり前だった。

関ジャニ∞さんは何も変わっていない。

私が勝手に変わっただけだ。

 

そしてこういう時にだって、関ジャニ∞さんはありのままだった。

ありのままで、優しくて強くてがむしゃらだった。

 

変わらないものがある。

 

でも変わらないものを持ちながら、本人達の意思ではなく変わっていかざるを得ないことがある。

それでも安田さんは変わらず「人の倖せが自分の倖せ」と言うのだろうか。

10年前、私の触れていた安田さんはこの先、どんな人になってどんな表現をしていくのだろうか。

できれば遠くからではなく、ファンの1人としてそばでその表現に触れていたい。

 

それが、出戻ったきっかけだった。

 

(この先は②に続きます。また後日、アップします。)